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心脳問題RFC#7 体外離脱体験
Received 21 November 1999
Accepted 23 November 1999
* 境界人
電子メイル coo@mx2.mesh.ne.jp
99年8月からQualia ML とTribe ML に参加している。
変性意識の研究会であるオルタードディメンジョン誌
(http://www.bekkoame.or.jp/~alteredim/)に境界人とい
うペンネームでいくつか投稿している。
5号 バリ島のマジックマッシュルーム体験
6号 心に効く化学−エンセオジェンの構造と構造式、その見方考え方
7号 心に効く生化学(投稿中)
変性意識についてはまじめに考えていきたい。このように脳や意識
および変性意識に興味を持っているのも、上記の中学生時代の二つの
経験があるからだろう。
また体外離脱したいとか、できる方法を知りたいとは思わないが、
是非、自分の中だけでもあの体験を納得したいと考えている。
< 要約>
私こと「境界人」が中学生の時分の自分を思い出し、何気なく書き綴った体外
離脱体験。
<はじめに>
まず、自分はどういう少年時代をすごしたのかをここで総括しよう。こういう経験
をした私が、どんな資質の人間で、どんなバックグラウンドをもってこの経験が成
り立ったのかがわかる一助になるだろうか?
しかし、私の少年時代について特筆すべきものはないと思われる。田舎でもなく
大都会でもない普通の地方都市に育ち、両親も健在。親戚も近くに多くいたるよう
な家庭。不幸といえるものもなく、なにか宗教に傾倒することもなかった。ごく普
通のサラリーマン家庭だ。男三人兄弟の長男で、兄弟も仲がよかった。趣味はつ
りと本を読むことだっただろうか。近くの公民館に図書館があり、毎週日曜日は
そこに行くか近くの川に行っていた。
体力、体質ともに正常。いじめられることもなく、いじめることもなかった。こういう
体験記にありがちな、病気がちの少年時代を送ったわけでもない。引越しや転校な
ど、子供心にストレスを感じるようなことがあっただろうか?なかった。
背は小さいほうだったが行動は活発で、近所の子供達と徒党を組んで近くの河
原で日がくれるまでよく遊んでいた。家ではネコや犬を飼っており、今考えても多
感な時期を十分に幸せに生きていた。
本当に人に話すのが恥ずかしいぐらいに普通ではないだろうか?
<体外離脱体験1>
中学生の頃。実家の二階にある自分の部屋。当時は部屋にTVもなく、音楽もか
けていなかった。 ある夜、布団で寝ていると、ふわっと持ち上げられたような気が
した。しかし、そのままずっとふわふわしている。体は存在感がないというか、まる
で無重力状態というのはこうなるのではないかと思うような軽い感じ。(単に脱力し
ていたのだろうか?)その際、音がしていたかというと記憶がないのかもしれない
がどう考えてもまったくの無音、もしくは後ででてくる「ニーン」という音だけだったよ
うに思う。
眉と眉の間、眉間にこそばゆい感覚があり、それまさに、なにかが額に当たって
いるような当たっていないという微妙なこそばゆさ。それはまるで目をつぶっていて、
パートナーが指を眉間の直前にかざした時のような感じたった。
その時、頭の内側は「にーん」というなんともいえない、すっぱい、きな臭いような
感覚。これが音なのか、ノイズだったのか頭の中にはずっとバックグラウンドに広
がっていた。しかも、そのあと、体が移動する際、この「にーん」という音が動きに
あわせて大きくなった。
(その音は、今考えるにひざを立てたりして少しだけ寝苦しい格好をしているとき
、寝入りばな時々聞こえている「あれ」なのではないか。この体験以降も、かなり
頻繁に感じられていた状態と思われる。しかし通常はそのまま意識が飛んでしま
い、その音の後のことは記憶に残ってはいない)
そのときの自分は寝た時の体勢のまま、仰向けになっていた。ふわふわという
感覚に気が付いて、ずいぶんしてから、目を開けた(と思う)のだが、…。しかし、
目のすぐ前、もうすれすれのところに、その部屋の天井面があった。これにはびっ
くりした。さっきから額に当たろうかとしていたのは、天井だったのだ。
照明は消えており、窓のカーテンも閉まっているので部屋の中は暗いはずな
のだが、部屋全体がやけに黄色くて明るく感じられた。
(実はその時、部屋の様子は見えているのだが、そのときの自分は目を開いて
いたとは考えられない。身体感覚的には目をつぶっていた。それでくっきりと天
井が見えたということ自体「変な」ことである。残念ながらこの感覚はなかなか
文章では伝えられない。)
ちなみに、中学時代の私は既に仮性近視になっており、授業中眼鏡をかける
ようにしていた。普段寝ている布団の高さから目を開いてまっすぐ天井を見ても、
くっきりしたベニヤ板の模様までが見えるはずはなかった。また、額に感じるほ
ど天井すれすれにいたのに天井の表面が見えたというのも、今考えると不思
議な話だが、実際にそう感じたのでしょうがない。
この時、覚えているのは黄色くデフォルメされた照明に中に、天井の材料であ
るベニヤ板の「通常以上にはっきりした」つるつるした模様と質感があったこと
である。天井から下がっていた照明器具の上半分にうっすらと積もっている埃な
ども、ほこりの質感をもって感じられた。
睡眠状態から覚醒している途中のような「ぼおっとした」状態であったので、
最初はいま何が起きているかよく意味がわからなかったのだが、何で天井がこん
なところにあるのだろうとすっかり、頭の中は「???」の状態だった。体は軽い
のになかなか自由には動かなかった。とにかく何とかしたかったので、体を動か
そうと努めた。そこでまた再度、「にーん」というすっぱい感覚が立ち上がってき
て、体軸を中心に体がゆっくり回転を始めた。それは自分が寝返りたかった方向
だった。右回転で180度廻り終わると、真下に自分のベッドがある。そしてそこに
寝ている自分の姿。真正面から見て大変驚いた。自分の姿が(暗いはずの部屋
で)黄色い光のはっきりとした陰影で見えていた。正面に見る自分は寝ているよう
だった。
この時見た風景は、客観的な状況と一致していたように思う。変な部分は感じ
なかった。遠近感や部屋の奥行きも変わっていなかったように思う。ただ、面白
いのは下を向いた自分の浮かんだ体がすっと動くときに、天井にある柱と自分
がわずかだが重なっていたような感覚があったことである。体の後ろ1/4ぐらい
が天井と重なって存在していたような感じである。
その木材の感覚は見事なくらいちゃんとした質感があった。木材のけばなどの
質感もあり、部屋がどこか変わったという感じは受けなかった。
恐ろしいとかこわいというよりも、「どうしようかな、こまったなー」という感じで、
結構冷静だったようだ。これからどうしようかと悩んでいるうちに、また「にーん」
が立ち上がって来て、体が下に落ちはじめた。そのときの自分の体のサイズは
いつものサイズと変わらなかったようだ。
つまり、縮みもせず膨らみもせず浮いていたということになるだろう。そのまま
平行移動でゆっくりと回転しながら元通りの仰向けになるように、徐々に加速度
が上がりながら落ちていった。特に背中側方向に、部屋の高さよりずいぶん長く
落ちていったように感じた。
ながい時間をかけてようやく自分の体に着地したのだが、その際、布団を通り
抜けたという感覚がしたという覚えはない。とたんに目の前は真っ暗になり、一
瞬、寝ていた自分の体が「ぶれた」ような感覚。「しゅっ!」という効果音つき。
目をつぶって寝ている通常の身体感覚が戻ってきた。そのまま、体が布団の
中にある暖かさを感じ、布団の感触も戻っている。つまりさっき真下に見た自分
のからだの側にいた。息もしている。そういえば、さっきまで息をしていたのだろ
うか?
指先を動かすと、動く。しばらく今起きたことを思い出しながら「すごいすごい。
なんだかなー」と一人で考えていると、また「にーん」という感覚。目を閉じたまま
の眼球の焦点が手前に寄る!(近くを見る感じ)でまた感覚が体からずれていき
そうなときに、今度はそのまま意識がなくなった。
その時、そのまま寝てしまったのかもしれないし、その後なにかがあったのに
覚えていないだけかもしれない。これが夢だったとしたら明晰夢と呼べるだろう。
<体外離脱体験2>
もうひとつのよく覚えている体験は体験1よりも後のことであり、それは覚醒時
に起こった。まだ暑さの残る秋の夕方、他の家族は留守にしており、私は一人
で留守番をしていた。二階の西側にある自分の部屋のひとつとなりの部屋で床
に寝転んで本を読んでいたのだが、ふと気が付くと、ベランダの外の空間から
窓越しに、本を読む自分の姿を覗き込んでいた。あれっという間もなく、私は
そこにいた。外の空間と言うと、表現が変だが、地上5mぐらいのある一点で、
庭にある藤棚の上空2mほどにある「場所」だった。このとき、自分の姿を感じ
ることは出来なかった。視点だけがそこにあり、いまそこにいる自分を見ていた。
部屋の中の自分は目がさめているのに! しかし本人は別にパニックになる
こともなく、なぜか落ち着いていた。この時もベランダの上の屋根の質感やその
手前にある一階の屋根の鉄板部分や太陽熱温水器の照り返しの光等。今でも
克明に映像となって思い出せる。その映像の中で、確かに自分は部屋の中で寝
転がっていた。
そのときも常にキーンという高周波のような音が聞こえていたと記憶している
が、これが体験1にでてくる「にーん」と同じかどうかはいまではよくわからない。
これらの体験で聞こえていたといっている「音」は幻聴だったのだろうか?わか
らない。キーンと言う音。シュッという感じ。それ以外になにかが聞こえていたと
いう感覚はない。しかし、「音の持つクオリア」という点ではかなり微妙な点がある。
その場で起こっている空気の振動という感じではなかったのだ。
鼓膜から刺激が入力していたわけではないような気がする。
場全体がキーンと言うか。頭の中の「ニーン」という感覚のレベル(デシベル!?)
が大きいものだったかもしれない。そしてこの「ニーン」には、すっぱさや、きな臭さ
のようなにおいや味の感覚の混じったものだった。
残念ながら、その時、その空間からどうやって元の体に戻ったかは今では覚えて
いない。しかしこうやって、元の体に戻って生活を続けているので、この時も何らか
の方法で帰ることが出来たのだろう。
いや、方法などなかったのかもしれない。気が付いたら。視点だけが外にある。
そんな感じだったのだから、何かが外に出たということとは違うような気がする。
<その後>
今ではそういう体験をすることもまったくなくなり、普通に(!?)生活している。
歳をとっただけかもしれないし、毎日忙しくしているからかもしれない。
私には息子がひとりいるので、彼が中学生ぐらいになるころに何度か聞いてみ
たいと思っている、彼が同じような経験をすることを楽しみにしている。
<考察>
考えてみれば、自分にとっては劇的であったこれらの経験だが、廻りの人に言
うことがはばかられるとおもっていたのか、これまで誰にも話したことがなかった。
しかし、逆にいえば、誰にもしゃべらずにいたことで、言葉にしたとき周りの反応
に対して本人が取り繕ったり、ごまかしや照れなどによって実際の経験が事実か
ら変性していくことを、ある程度防ぐことができていたのではないかと思われた。
ここでこうやって、突然、体外離脱というキーワードに触発されて私的な経験を書
いてしまったが、素の自分のままで「あの」経験を思い起こして、このように脚色せ
ずに文章として焼き付ける機会をいただいたことに感謝したい。
くつろいだ秋の夜長、自分のパソコンに「あの」ことをひとつひとつ思い出しなが
ら打ち込んでいくことは楽しい作業だった。自分の中の真実がひとつ、こうやって
表現され残すことが出来たという喜びがある。
これらの体験が幽体(体外)離脱と呼べるようなものかどうかは別として、(特に二
つ目は、もう一人の自分つまり「分身」を見てしまったというような感覚なのでジャン
ルが違うかもしれない)もう、今となっては、それらが夢だったのか事実であったの
かという証明は出来ないし、それを調べる手立てもない。ただ、自分の中では今で
もひっかかっている鮮明な記憶の1ページだ。
ここで書いた経験談が、体外離脱体験の典型的な例であると言われることに苦
笑しつつ、筆をおかせてもらおう。
クオリアおよび心脳問題関係諸氏の今後の研究と真相究明に期待しています。
* 境界人
99年8月からQualia ML とTribe ML に参加している。
変性意識の研究会であるオルタードディメンジョン誌
(http://www.bekkoame.or.jp/~alterdim)に境界人とい
うペンネームでいくつか投稿している。
5号 バリ島のマジックマッシュルーム体験
6号 心に効く化学−エンセオジェンの構造と構造式、その見方考え方
7号 心に効く生化学(投稿中)
変性意識についてはまじめに考えていきたい。このように脳や意識
および変性意識に興味を持っているのも、上記の中学生時代の二つの
経験があるからだろう。
また体外離脱したいとか、できる方法を知りたいとは思わないが、
是非、自分の中だけでもあの体験を納得したいと考えている。
(c)境界人 1999
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