心脳問題RFC #16 「心は機械で作れるか?」書評
心は機械で作れるか
ティム・クレイン著
土屋 賢二監訳
勁草書房
2001.9
(本書評は、日経サイエンス2002年1月号にも掲載されています)
茂木健一郎
脳科学者の間では、哲学者の評判は必ずしもいいとは言えない。脳科学の発達により、哲学はやがて消滅するだろうと断言する人までいる。しかし、哲学者側の危機感はそれほど強くないように見える。実際、脳科学がこれほど発達して来ているにも関わらず、脳科学の知見を哲学に反映させようという真摯な努力をしている哲学者が多いとは言えない。そのような知的な怠惰に対する怒りが、哲学者への敵意の背後にある。
本書を読む限り、ティム・クレインも、脳科学を積極的に参照して心の哲学を議論するタイプとは言えない。科学主義者の中には、この本を読んで怒り出す人もきっといるだろう。私も、読んでいてある種の焦燥感を感じなかったわけではない。しかし、だからと言って本書に価値がないかというと、実は話が逆なのである。
不思議な現象があって、脳科学を積極的に参照する哲学者の思索は、しばしば「薄く」感じられることがある。一方、脳科学に一切言及しないクレインの著述は「濃い」。「表象」、「志向性」、「感覚質(クオリア)」。これら、心の不思議さを象徴する様々な概念についてのクレインの思索は、脳科学に安易に依拠する哲学者の議論よりも、むしろ良質である。短い記述の背後に、膨大な文献の読み込みと、深い思索の跡が感じられる。だからこそ、監訳者も書くように、この人の哲学コミュニティでの評判は抜群に良いのだろう。
クレインは、ケンブリッジ大学で博士号を取り、現在ロンドン大学で教える。いわばイギリスの心の哲学の伝統の最良の部分を引き継ぐ人である。どうやら、この伝統の中では、あの偉大なヴィットゲンシュタインも含めて、経験主義科学への依拠は良質の心の哲学の条件となってはいないようである。これは、どういうことか?
良質の哲学は、決して逃げ道を作らない。経験主義科学におけるデータは、主観的な思いこみを超える客観的な情報を提供してくれると同時に、「思索をギリギリと詰める」という視点からは、逃げ道にもなる。何かの課題をする時に、脳のどこかが活性化する。その時、その部位のニューロン活動は、このような特性を示す。このようなデータは、貴重な資料であるとともに、私たちが「思索をギリギリと詰める」ことをやめ、難しい問題を忘れるように促す麻薬にもなりかねない。ブレンターノが心的現象のユニークな特性だとした「志向性」の問題などは、ニューロン活動を追ったところで解決できるとはとても思えないほど、掛け値なしに難しい問題である。心脳問題のある種の困難は、単にデータを集めるだけでは決して解決されない。良質の哲学は、逃げ道を断つことで、困難な問題の核心に迫って行く。
もっとも、哲学者が、哲学的方法論だけで、心の本性について何らかの驚きに満ちたブレイクスルーをもたらす可能性はゼロに近い。一方で、この本に書かれているような心の哲学の基本を押さえていない科学者が、心の本性についてのブレイクスルーを起こす可能性も少ない。最初に、心について考える哲学者が脳科学のデータを参照しないのは知的怠惰だと述べた。クレインを初めとする心の哲学のコアにいる人たちは、逆に脳科学を初めとする経験主義科学の側の知的怠惰を密かに憂えているのかもしれない。今求められているのは、経験主義科学と心の哲学の間の深いレベルでの対話である。
(C) 茂木健一郎 2001
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