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心脳問題RFC #16 心脳問題と直感

 

 天田未惟(ペンネーム)

 

 m-amada@h9.dion.ne.jp

 

 心脳問題と直感

 

 初めに

 

 最初に簡単な自己紹介をさせてもらうと、私は昔から科学、哲学、芸術、宗教など

に興味を持っていて、いろいろな一般書を多く読んできた。しかし、正規の教育を受

けたことはほとんどない。いわゆるアマチュアである。このRFCは広く一般に開か

れたもの、とのことなので専門家でない私のようなものにも投稿のチャンスが与えら

れたと思い、自分の体験をもとにした考察をまとめてみようと思い立った。

 

 私の体験はかなり特殊なものだと思われるので、興味を持たれる方もいるのでは

ないかと思う。私なりの考察と問題提起をしてみたいと思う次第である。

 

 1. 直感について

 

 深層心理学者、C・G・ユングは心の機能を大きく4つに分類した。すなわち、「感

覚」「思考」「感情」「直感」である。ユングの構図の中では「感覚」の反対に「直

感」があり、それと交差する形で「思考」と「感情」が相対峙している。相対する機

能はどちらかが優勢になるとどちらかが劣勢になる関係だといわれている。ユングの

言う「感覚」と今、盛んに議論されているクオリアとは同じものなのか、かなりの違

いがあるのか、私にはよくわからないが、そう大きな違いはないと思われる。

 

 現在の心脳問題の研究は、かなりクオリアに局面を限定してそれと対応する物質的

な脳状態を対象にしているようである。しかし、私はここでクオリアと対極の位置に

あるとされる「直感」にスポットを当ててみたいと思う。それというのも、私の体験

は「直感」の機能が大きくかかわっていると思われるからである。心的機能のうち、

クオリアは覚醒時にはほぼ恒常的に存在するし、「思考」や「感情」も比較的再現し

たり、反復したりすることが可能である。それによって脳状態を計測することは比較

的容易であろう。しかし、「直感」となるとそうはいかない。「直感」が生ずるのは

まれなことであるし、より深い「直感」となると非常にまれなことである。また、本

人にも予測することができず、反復性も再現も効かない。このような心の機能を計測

し研究することは非常に困難なことであろう。

 

 この「直感」を私の体験に即してできる限り客観的に考えていきたいと思う。

 

 2. 直感体験

 

 私は1,959年、ある地方都市に生まれた。歩き始めが遅く、歩き始めても非常に転

びやすいという状態だった。いろいろな病院を回ったが原因が分からず、最後に東京

の大学病院で5歳のとき「進行性筋ジストロフィー症」と診断された。私の両親は医

師から「この病気は筋肉がだんだんと萎縮していく病気です。現在のところ原因が分

からず、治療法も全くありません。20歳前後くらいまでしか生きられないでしょ

う。」という告知を受けた。しかし、私は最も重いタイプ「デュシェンヌ型筋ジスト

ロフィー」ではなかったようで、幸いにも医師の診断は外れ現在に至っている。それ

でも健康状態は厳しい状況と言わざるを得ない。

 

 小学校低学年の時期は同級生からは体力的、筋力的にかなり劣っていたが、何とか

一緒に勉強をし、遊ぶこともできた。私は幼児期から本が好きで、小学校に入ると図

書室の本や書店で本を買ってもらい、いろいろな本を読んだ。児童文学全集、推理小

説、動物植物といった科学関係の本、SF、世界の不思議物語など多くの本を読んで

いた。

 

 その体験は小学校2年生のある日、図書室でのことだった。いつものように放課後

図書室に行き、読む本を探して読み始めた。その本の正確な題名、著者は忘れてし

まったが、金星旅行を主題としたSFだったことは確かである。宇宙船が金星に降り

立ち何人かが船外に出て調査を始めた。その内の1人の科学者がある場所に行ったと

き、大量の放射能を浴びてしまったのだ。その科学者が宇宙船に帰ると放射能障害の

症状が表れ始めた。科学者はそれがどういうことかよく分かっていた。科学者は仲間

に向かってこう叫んだ「これは放射能障害だ。絶対治らないんだ!」これを読んだ瞬

間、突如として今まで感じたことのないような異様なショックを受けた。それと同時

に胸を締め付けられるような不安感と絶望感に襲われた。なぜ突然、そのような気持

ちになったのか自分でもまったく理解できなかったのである。その時の心の状態を言

葉で説明するのは難しい。遠くにあってぼんやりとしたものなのだが、それ自体は非

常に強固で動かしがたい実在のあり方、、、それはまさに直感把握と呼べるようなも

のではなかっただろうか、、、その様なものを感じ、その科学者の言葉が自分自身の

ことのように感じられたのである。しかし、自分の表層意識は懸命にそれを否定しよ

うとしたのである。だが、その直感で感じられたものはどうにもならないように思わ

れた。

 

 もちろん、「放射能障害」という言葉の意味を理解できる年齢ではなかったし、ま

た、「絶対治らない。」という言葉に対しても当然のことながら、私の両親は私に病

気の内容について話したことはなかったのである。ただ、病気の理由として「突然変

異」という説明は受けたような覚えがある。このことは合理的思考ではどうにも理解

できないことであった。

 

 3. 体験から現在まで

 

 今にして思うと、あの金星旅行のSFを読む前と後では精神状態が変わってしまっ

たような気がする。その後、私は時々不意に不安感や絶望感を感じるようになり、い

わばうつ状態になったような気がする。

 

 そのころは「筋ジストロフィー」に対するいろいろな新薬が試された時期だった。

成長ホルモン、蛋白分解酵素阻害剤、その他多くの新薬が臨床で試されて、そのこと

はマスコミを通じて報道された。私は意識の上では「効いてくれればいいな。」と

思っているのだが、心の底では「すべて無駄だ。」という思いが広がっていた。やが

て、それらの新薬はすべて無効だということが明らかになったのである。

 

 「筋ジストロフィー」を含む多くの遺伝病の原因が解明されるようになったのは、

1,980年代、分子生物学の飛躍的な進歩によってである。1,990 年代に入り、具体的

な原因遺伝子、たんぱく質が明らかになってきた。筋肉細胞は収縮と弛緩の絶え間な

い負荷に耐えるために複雑で巨大なたんぱく質構造を持っている。しかし、そのため

突然変

異率が高くなり、原因遺伝子の欠落によりたんぱく質構造に破たんが生じ、筋肉細

胞は破壊される。原因遺伝子は多くの種類が発見されているが、X染色体上にあるこ

とが多く、伴性劣性遺伝によって男子の発症が多くなる。原因がわかったことによ

り、その遺伝子治療に期待がかかるわけであるが、他の多くの遺伝病と同じくその

ハードルは非常に高いようである。

 

 私がその具体的な情報を知ったのが1,997年のことである。あの直感体験から約30

年後のことであった。私はその時、ずっと昔から分かっていたもののように感じられ

たのである。先の東海村臨界事故においてわれわれは放射能障害のすさまじさをまざ

まざと見せつけられた。「放射能症障害」と「突然変異」は同じものではないが、生

命の基本単位である遺伝子の破壊、欠落という同じレベルの問題なのである。

 

 しかし、これは俗に言われる「予知」というものとは違うように思われる。未来に

起こる具体的な何かを予見したというより、本質的な存在の在り方を直感したという

ことであり、具体的なものはその本質的なものの現象化であるようなイメージであ

る。そのため時間的に離れていても一致する、ということではないだろうか。

 

 私はこの直感体験以後も、直感的に何かを感じる、把握するということが多かった

ように思う。私はユングの言う「直感型人間」なのかもしれない。しかし、自分の病

気の原因に関するような直感はあの「金星旅行のSF」の直感、ただ1度きりであ

る。

 

 私はこの直感体験を今まで誰にも話したことはなかった。ここに記すことができる

のを喜びたいと思う。

 

 4 . 考察1

 

 まず、2つの観点から考察を進めていきたい。ひとつはこの直感体験は物理的因果

性によって説明できるのか、もうひとつは直感体験とその後の現実との一致は偶然な

のか必然なのか、という問題である。この2つは密接に関係していると思われる。こ

こでもクオリアと脳との間のハードプロブレムと同じ問題が存在しているはずだが、

ここではこれ独自の問題に焦点を絞りたい。

 

 <意識を生み出す脳のニューロンの活動は、究極的には相互作用する素粒子からな

るシステムの振る舞いとして記述される、複雑ではあれ物理的法則に従う系であるこ

とは、意識の問題を考慮したとしても特に疑う必要があるとは思えない。「脳=因果

性に従う物質系」という大前提を疑わせるような証拠は一切存在しない。すなわち、

意識は、あくまでも、物理学的な因果性に従って時間発展する脳内の物理的過程に精

密に寄り添った(随伴した)形で生じる現象なのである。>*1

 

 そうであるならば、この直感体験も物理的因果性によって説明されなければならな

いだろう。しかし、最初に、物理的因果性による説明の困難さが予想されることと、

クオリアからできるだけ遠ざからないために「直感」を除外した状態を考えてみた

い。

 

 まず、その本「金星旅行のSF」を見る。目から視神経を通じて脳に情報が伝わ

り、白い紙と黒い活字が鮮明なクオリアとなって表象される。それから意味読解に

よって物語の場面がぼんやりとしたクオリアとなって表象される。脳のニューロンの

発火はそのような状態であるはずである。(A)その時、私は強い不安と絶望感を感

じた。ということは脳のニューロンの状態もそうであったはずである。(B)そうな

ると、(A)→(B)という因果関係は成り立つだろうか。「これは放射能障害だ。

絶対治らないんだ!」の「絶対治らないんだ!」という言葉は絶望感を感じさせる。

それを自分の病気に結び付けたとしたら、、、しかし、「筋ジストロフィー」という

病気は除々に進行して行き、急激に悪くなるということはない。私は先天性であった

ので、健康の時の状態を経験したことはなく、その落差を実感することはなかった。

また、それ以外に命にかかわるような重い病気も体験したことはなかった。それほど

自分の病気に対して不安は持っていなかったのである。また、このような言葉に強く

反応するニューロン経路が形成されていたとすれば、これはもう精神病である。この

ような言葉すべてに不安や絶望感を感じていなければならない。いろいろな本を読む

中に、主人公が病気になったり、なくなったりする。そのようなとき、普通にかわい

そうだと思ったり悲しいと感じたりするが、不安や絶望感を感じるということはそれ

までは全くなかったと思う。

 

 この時の言葉、「放射能障害」と「絶対治らないんだ!」とは一体化されたものと

して迫ってきたが、どちらかというと「放射能障害」の方にウエイトがあったような

気がする。自分の病気の原因として「突然変異」という説明を受けていたので、「突

然変異」と「放射能障害」とを関係づける知識があれば、(A)→(B)の因果関係

は成り立ちそうである。だが、これも、その時の科学水準がどの程度であったのか、

という問題もあるが、それを理解できる年齢ではなかった、、、余程の天才なら別か

もしれないが、、、その様なことを本で読んだりといった記憶は全くない。また、直

感体験の時、「突然変異」と「放射能障害」とを関係づける思考をした、ということ

は全くなく「放射能障害」という言葉からダイレクトに感じられたことなのである。

ここでも(A)→(B)の因果関係は成り立ちそうにない。

 

 1番可能性があると思われるのが、「放射能」という言葉が嫌なイメージとして長

期記憶の中にあり、それと自分の病気に対する潜在的な不安とが反応してあのような

ショックを受けたのではないだろうか。そのころはやっていた怪獣映画「ゴジラ」で

ゴジラは水爆実験によって目覚め口から放射能の息を吐く。また、米ソ冷戦のただ中

であり、水爆実験や核ミサイルのニュースなどテレビで見ていただろう。放射能とい

う言葉も耳にしていたに違いない。そのように偶然に結び付けられたイメージから

ショックを受け、自分自身のことのように思い、あたかも直感によって深い存在に触

れたような錯覚を起こした。つまり、直感は思い過ごしではないだろうか。これで

(A)→(B)の因果関係は十分に成り立つ。物理的因果性による説明は十分つくは

ずである。そうなると、直感体験と思われていたものと後の現実との一致は全くの偶

然にすぎない。事実、同じような病気の人たちからそのような体験をしたという話を

聞いたことがない。それはおそらく私の内部だけに起こったことであり、多数の中の

ひとりであり、確率的に起こってもおかしくはない。それが、私の主観世界ではあた

かも必然であるかのように思われていたのではないだろうか?

 

 5. 考察2

 

 上述の最後の部分は、かなり強引に「直感」の否定と偶然の一致による説明をして

みた。これに反論する形で考えてみたい。嫌なイメージと潜在的な不安を結び付ける

傾向があったとすれば、嫌なイメージのものは他にも多くあるのだから、それらとも

結びつき、いわば的はずれの直感のようなものが他にもたくさんなければならないだ

ろう。それも、かなり精神病的な状態である。しかし、この体験はこれだけを強く選

択したのである。なぜ、そうなのかという疑問が残る。

 

 私の主観としては、やはり、あの言葉を通じて実在の深いにあり方を感じたのだと

思いたい。そのような直感を感じたニューロンの状態(C)がある。つまり、(A)

→(B)→(C)というような因果連関ではなく(A)→(C)→(B)というよう

な因果連関なのである。(C)→(B)の理解は容易であろう。問題は(A)→

(C)がなぜ生じたのだろうか?ということである。(A)とそれに関連するすべて

を見渡しても、必然的に(C)を生じさせるようなものは見いだせそうにない。いっ

たい、(C)はどこからやってきたのだろうか。

 

 (A)から必然的に(C)の生じさせるようなものは、どのようなものが仮定出来

るだろうか。自由意志、集合無意識といったものが量子的な揺らぎや複雑系の中にあ

る余地を通して現れてくる、という考え方は物心ニ元論に舞い戻ってしまうことにな

る。SFホラー映画「パラサイトイヴ」では細胞内のミトコンドリアが人間の意識を

動かし、操作するという話が出てくる。私の遺伝子が自分の欠落を訴えるために私の

意識に昇ってきた、、、まさか、あの本を読んだことも自分が読んだのではなく遺伝

子に読まされていた?しかし、これは荒唐無稽であり、やはりSFのなかだけの話だ

ろう。

 

 (A)→(C)は大変低い確率で起こった偶然の出来事なのだろうか。すなわち、

そこに何らかの必然性を認めることは、科学の根幹をなす物理的因果性と整合できな

いことになるのだろうか?(C)が後の現実と一致したということも、科学的世界観

においては全くの偶然とみなさなくてはならないのだろうか?一方、私の主観世界で

は「直感体験」と後の現実との一致は偶然か、必然か、と問う必要すらない問題であ

る。よく言われる「2つの文化」の対立がここにも反映してくるように見える。客体

的事実として、偶然か、必然かを問うことにどれだけの有効性があるか、という問題

もある。むしろ、それぞれの世界観にとってそう信じることが重要なのではないだろ

うか。

 

 あの直感体験、、、時間にすればわずか1秒から2秒程度のことである。その瞬間の

内面の出来事によって、それ以後の私の意識は大きく規定されてしまった。というこ

とはニューロンの状態も規定されてしまっている、ということだ。もし、あの直感か

らそれ以後の意識の状態がすべて物理的因果性によって説明できたとしても、あの直

感の必然的な原因が因果的に追跡できなければ、結局、すべて物理的因果性によって

説明できない、ということと同じことになってしまうのではないだろうか。

 

 6 . 直感とは何か

 

 あの直感体験は私の内面に起こったことにすぎない。しかし、私の主観にとっては

非常に重要なことである。あの直感体験とは何か。私の人生にとってどのような意味

があるのか、ということを追求したくなる。また、この体験はかなり特殊な例かもし

れないが、広く一般化できるのではないか、という思いもある。例えば、科学におい

ても長い追及の結果、多くの可能性の中から直感的にひとつのことを選び出し、それ

が重要な発見につながる、ということはよくあることである。芸術的創作活動におい

ては心の機能がすべてフル回転しているといえる。クオリア、感情、思考、そして直

感は重要な役割を果たしているのに違いない。茫漠とした表現手段、方法の中から

たったひとつを選びだすのである。

 

 直感とは非論理的な跳躍を通して多くの可能性の中から1つを選択する力である、

と思う。意識の発展、進化にとってそれがどれほど微細なものであっても、その影響

力は絶大なものになる。さらに、もっと拡張すれば生命進化全体にも適用されるかも

しれない。それは、自然淘汰とは別の原理になるだろう。

 

 「心脳問題」の科学的アプローチに「直感」を加えることは、さらなるアポリアを

追加することになるのかもしれない。私的な見解を述べさせてもらえば、「心脳問

題」を真に解決するのは究極的には科学そのものではなく、また、科学に反するもの

でもなく、科学を包含した未知なるなにものかではないだろうか。

 

*1 茂木健一郎 「意識における非局所性の起源」

「数理科学」No. 448, pp.39-47 (2000年10月号)

 

(C) 天田未惟 2001

 

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