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心脳問題RFC #14 クオリアの定義

 

 

Definition of Qualia 1 <田中幹の定義>

 

1.クオリアの定義

 クオリアは生物が感覚刺激から事物を知覚しそれを分類、識別する範疇化の結

果生まれる脳内表象で、その事物の特徴的な属性を指している場合が多い。

 

 ただしクオリアを一般の脳内表象と区別して神経科学で探求されるべき独立

した実体と見なす一般に広く見受けられる立場は誤りである。

 

2.クオリアが独立した実体と誤解される理由について

 以下の仮説によりその誤解の理由が説明できると考える。

 

2.1 高等動物の認知におけるホモンクルス的様相

複雑な判断行動を要求される高等動物の知覚システムは、外界の実際の物理世

界を写像した脳内表象空間を形成し、外界の個々の事物に対し一対一対応でその

表象が表象空間内に位置を占める。そして表象空間内の中央には見方によれば脳

内ホモンクルスにも似たな一人称の認知視点が存在する構成になっている。

つまり一次的な認知は表象空間の形成であり、その表象空間の中で選択された

対象事物の表象に対し一人称の認知視点を通じた二次的な認知が行われる重層形

式になっている。

 一次的な認知段階では例えば事物の位置、大きさ、大まかな特徴といった一次

範疇化のみが完了している。

 

 一つの事物に注意を向け二次的な認知を進めるとその事物の特徴的な属性につ

いても範疇化が行われその結果のニューロン信号がその属性表象として二次認知

系に届き、その結果生物個体にとってのその事物属性に対する究極的な認知理解

が生まれる。これがクオリアの感受である。

この時のニューロン信号は、この生物個体の認知システムだけに固有の形式で

あり、この生物個体の発生時から現時点に至るまでの間に、対応する属性を表象

するいわば内部コードとして約束され、確立されて来たものである。

 

 世にいわれるハードプロブレムが、上記生物個体の為した究極的な認知理解に

対しさらなる機能的構造説明を求める問題意識であるとするならば、その構造を

担う生物個体間で共通な基盤が存在しない以上、その探求は無意味であると考え

る。

 

.2.2 クオリアが独立した実体と誤解される理由

 ところが、ヒトはこのクオリアの感受の過程で以下の通り誤解する。

 

 ヒトを含め上記高等動物は自己の主観感覚感受が脳内表象空間に対する二次的

な認知の過程であるとの正しい認識は持たず、逆に実際の物理世界で直接感覚し

ているものとする錯覚の下行動する。

 つまり先のホモンクルスを実際の物理世界における自己自身として物理世界に

遊ばせているのである。これは確かに一般的な生活を送る限りにおいては必要十

分な実用的で合理的な主観性の持ち方といえる。

 

しかしヒトがこの便宜的主観認識のままクオリアの生成過程に関する考察を試

みると、正しくはニューロン信号の授受ですべてが完結しているはずのクオリア

の感受が、実際の物理世界において事物と主観的自己の間で物理的に説明困難な

形式で直接行われているものと誤解し不可思議の念を抱くことになる。

 

田中幹 miki@wa2.so-net.ne.jp

 

 

Definition of Qualia 2 <河村隆夫の定義>

                 

      河村隆夫  「青は何処から来るのか?」この疑問が、私のクオリア

問題の、始まりであり終わりでもあった。私はそれ以上を求めない。なぜなら、「私

は何処からきたのか?」「私は何処にいるのか?」という根元的な問いのすべてはこ

の最初の疑問に包括されているように思われるからである。

 さて、青は何処から来るのか? ある波長の光、電磁波そのものに青い色があるわ

けではない。(「電磁波そのもの」とは何かと問われても、専門外の私にはファイン

マン物理学以上の返答はできない。)電磁波が私の網膜の視神経を刺激して発生した

ニューロン内イオン電流は、シナプスでの発火を繰りかえしながら、後頭葉視覚野、

前頭葉連合野、頭頂葉運動野などを経てニューラルネットワークを形成し、その結果

私は「青い色が見えます。」と、言う。ここで、私の脳内を流れているのはイオン電

流にすぎないのに、青い色が感覚されるのはなぜなのか。私が感覚している青い色は

、電磁波の中にも、イオン電流の中にもないように思われる。たとえ青を知覚するニ

ューロンがあったとしても、そのニューロンの中でおこなわれているのは化学反応に

すぎない。青い色は、その化学反応の中にはない。しかしまた、電磁波や、脳内のイ

オン電流、化学反応などがなければ、青い色が感覚されないこともまた確かである。

 すなわち、脳という物理的存在と、青い色の表象とは、表裏一体に見えながら、別

の次元に属しているように感じられる。この、物理過程からは説明不可能な青い色の

質感が、クオリアである。

冒頭で述べたように、「青は何処から来るのか?」という問いは、青を感覚する主

体である「私」の問題もまた、その問いの内に含んでいる。「青い色」も「私」も、

ともにクオリアの領域に含まれるように思われるが、種々のクオリアの関係やその階

層構造(階層がもしもあるのならば)については、将来の研究を待たねばならない。

しかし、このテーマは今回求められているものではないから、別稿に記したいと思う

 クオリアをこのように難解な問題にしている理由は、その検証不能性にある。

 筆者自身ともう一人の、二人の被験者に、同じ波長の光を見せたとき二人の脳内に

ほぼ同じニューラルネットワークが確認され、二人は「青い色が見えます。」と答え

たとする。私自身は確かに自分が青とよぶ色を見ているとしても、隣の被験者が、私

と同じ質感の青い色を見ているかどうかは、検証できない。あるいは、まったく違う

次元のものを感覚しているのかもしれないし、実験者に迎合して、見てもいないのに

見えますと答えたのかもしれない。まったく検証できないように思われる。すなわち

、クオリアは、主観によって感覚されるもので、その主体にとっては明らかな感覚的

実在であっても、その実在を証明することができない。

 このように、科学的実験などの検証を積み重ねることによって得られる普遍性(客

観性)を、クオリアは持ち得ないように思われる。それ故私は、長い間、私の能力的

限界もあるが、それ以上に、クオリア問題は原理的に解決不可能であるという想いが

深かった。

 茂木が提唱した「ニューロンの発火のパターンと、それに対応するクオリア

は、1対1に対応する」ことが、唯一クオリアに関して確かな事実であると思われる

。クオリアに関するそれ以上の知見を、私は寡聞にして知らない。        

                       2000.9.9

 

 

河村隆夫 kabuto@mwc.biglobe.ne.jp

 

 

Definition of Qualia 3 <稲葉哲也の定義>

 

 

クオリア【qualia】《名詞》

(1)質感。物理的に計量できないそれ。非定量的、非定性的性質。

(2)心情的、感覚的存在。あるいはその量。

(反)物理的存在。物理量。

 

稲葉哲也 t-inaba@mx4.freecom.ne.jp

 

Definition of Qualia 4 <境界人の定義>

 

 クオリアとはなにか。はじめてこの言葉に出会ったとき、本を読んでしばらく考え

てみたが、当時は何もわかっていなかった。バラの赤い感じ。ビロードの質感。あべ

かわ餅の食感???それらの一体なにがすごいことなのか?どこがハードプロブレム

なのだろうか?と。何も実感がなかった。

 

 そんなある日、散髪に行った。日常生活の中のひとコマだ。すっきりと刈り終わる

と、次は洗髪してもらう。椅子の上に腰をかけると、両膝に両肘を乗せた格好で流し

に頭を突き出し、目をつぶる。店内でかかっているAMラジオがひっきりなしにながれ

ていて、外を通る車の騒音。昼下がりで、そとの日差しが熱を持っている。それが冷

房の効きすぎた店内には心地よかった。

うつぶせの頭に、丁度いい温度のシャワーを浴びながら、プロによる洗髪の技を堪能

していた。そこに突然、何の前触れもなく急に仕掛けられた何かが爆発したような感

覚の爆発。背筋がぞっとして体が凍りついた。

 首筋から頭頂にかけて伝う滴と、指の腹の微妙な感触に包まれた頭蓋骨の中にある

脳の、それをつつんでいる頭蓋をごしごしと規則正しくしごく指の感触のその生々し

さ。その只中にあるという、圧倒的な存在感。そして、その指の動きは、脳に直接指

をいれているかのように、自分の頭をつつみ動いている。そのすべての感覚が、間違

うことなく脳の頭皮にあたる体性の皮質で、このたまらない感覚からの快感を同時に

発しながら、今まさにシナプスが「ばばばっ」パルスを発しと脱分極しているのか?

 そても、それだけではない「その存在」に気がついたとき、なぜか自分はたまらな

い孤独を感じていた。何故に同時に孤独を感じたのだろうか?

 

 そして、この丘の上にある小さな散髪屋の、裏にある駐車場にある自分の車や、周

りの道路や自宅までの道のり。その向こうの町や山までの、すべての景観のつながり

の中で存在を俯瞰することができた。解っていた。その存在感。それがすべてこの濡

れた頭の中にあることも。明らかに、確かに存在する自分が、その中心にいる。自分

の「脳内表象のなかにある自分と、その自分が感じている周りの空間の存在」に気が

ついたというべきか。とにかく愕然とした、これがクオリアというのなら、その時が

私のクオリアとの本当の出会いだった。

 

 それ以来自分の見るもの、聞くもの、感じるものすべてが一皮むけたように、ぷる

ぷると質感を持ってリアルに感じられるようになってしまった。そして、たぶん「こ

の感じ」を人に説明することはとても難しい。もしかしたら、みんなはもうあたりま

えにこの生き生きとした世界を知っているのかもしれないし、私がそうだったように

、本人が意識し、気づかないと知ることもないまま生きて死んでいくことになるのか

もしれない。 

 

 そう考えると、ひとにクオリアを伝えることの本当に難しいことだ。一回性、物語

性という言葉にも、なるほどそのとおりだと、心から感じ入ってしまう。それ以上の

言葉は要らない。

 

 もし、この自分が理解しているクオリアを定義するとなると、それは私にとって認

識しているの世界のすべてと言えてしまうのだが、敢えていえば、すべての知覚系か

らインプットされていった、様々な情報が、アウトプット系のトリガーを引こうとす

る瀬戸際の、ただの情報ではありえない「存在感」。刺激や情報の単なる流れではな

く、そこからあふれんばかりの勿体無いほどの「存在感」なのだが。あくまでこれは

主観であってもうこれ以上は言葉にできない。しかし、クオリアとはこの自分の感じ

た(/ている)「これ」ではないかと信じている。

 

境界人 coo@mx2.mesh.ne.jp

 

Definition of Qualia 5 <茂木健一郎の定義>

 

クオリアの定義(というかアフォリズム?)

 

 物質系の時間発展を記述する数学的なフォーマリズムとではなく、それによって記

述されている物自体(Ding an Sich)におそらくつながるだろうと思われる世界の実

在の一側面。我々は数学的なフォーマリズムは意識的に感知できるが、物自体は、カ

ントが言っているように、知り得ない。その物自体につながるクオリアが数学的フォ

ーマリズムに載らないことは、ある意味では当然かもしれない。最も、数学的フォー

マリズムの意味論は、クオリアと同じくらい暗闇に沈んでいる。クオリアへの感受性

は、人を知的な不安に陥れる。存在論的不安を持つということは生きているというこ

とと殆ど同義である。

 

茂木健一郎 kenmogi@csl.sony.co.jp

 

(C) 田中幹 2000

(C) 河村隆夫 2000

(C) 稲葉哲也 2000

(C) 境界人 2000

(C) 茂木健一郎 2000

 

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