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脳とクオリア 第1章 補足

「属性の結び付け」と「部分の結び付け」

 ニューロンの同期発火のメカニズムは、結び付け問題を解決できるのだろうか?

 実は、「結び付け問題」として議論されている認知プロセスには、大きく分けて二つある。

 まず第一は、「属性の結び付け」(property binding)と呼ばれる過程である。「右に動く赤い花」の場合、「赤」や「動き」といった視覚特徴が、視野の中である分布を持って表象されるまでの過程である。より具体的に言えば、色のクオリアや、テクスチャのクオリアなどの表面の属性を表す感覚的クオリアと、動きを表す志向的クオリアが視野の中で結びつくまでの過程である。この段階では、「何か赤いものが視野の中で動いているな」と感じるだけで、それを「花」と認識するまでには至っていない。 

 第二の段階は、「部分の結び付け」(part binding)と呼ばれる段階である。ここでは、視野の中に分布した感覚的クオリアや志向的クオリアの各「部分」が結び付けられ、全体としてある物体として認識される。「右に動く赤い花」の場合、「右に動く赤い」クオリアの塊が、全体として「花」として認識される過程が、「部分の結び付け」である。

 同期発火について今までに得られている知見を総合すると、どうやら、ニューロンの同期発火は、部分の結び付けには関与しているものの、属性の結び付けには直接関与していないらしい。

 同期発火と結び付けの関係を示唆した最も初期の研究の一つは、ドイツのジンガーたちが行った猫の第一次視覚野のニューロン活動の計測だった。この実験で、ジンガーたちは、同じ方向に動くバーを提示した場合には、それぞれのバーに対して反応するニューロンが同期して発火するのに対して、バーが同じ方向に動かない場合には、このような同期が起らないと報告した。ジンガーたちは、この結果を、同期発火が結び付けに関与している証拠だとしたが、厳密に言うと、この場合の「結び付け」は、上の分類で言えば第二の「部分の結び付け」に関わるものである。この実験から示唆されるのは、視野の中で動く一つのバーという「部分」と、それに近接して同じ方向に動くもう一つのバーという「部分」が結び付けられて共に動く一つの長いバーとして知覚されるメカニズムに、ニューロンの同期発火が関与しているかもしれないという可能性である。これは、まさに「部分の結び付け」に関わるメカニズムである。

 1999年に、フランスのヴァレラたちは、人間の脳波(EEG)の計測により、脳の広範囲に渡るニューロンのγ領域(30Hzー80Hz)における同期発火が、「ムーニー・フェイス」(月の表面の影のような顔)と呼ばれる陰影パターンの「顔」としての知覚と連関して起るということを見い出した。「ムーニー・フェイス」は、図1・x・aのように正立で提示された場合は顔として認識される確率が高くなり、図1・x・bのように倒立で提示された場合には、意味のない図形として認識される確率が高くなる。ヴァレラたちは、顔として認識された時にのみ、広範囲にわたるニューロンの同期発火が起り、しかもこの同期は被験者が認識の結果をボタンで押して知らせる運動を開始するにつれて急速に解消される、ダイナミックなものであることを見い出したのである。

 「ムーニー・フェイス」の白と黒のパターンを空間的に結び付けて、そこに「顔」という物体を見るプロセスは、まさに部分の結び付けのプロセスである。ジンガーやヴァレラ、その他の研究者たちの実験結果を総合すると、ニューロンの同期発火、それも広範囲に渡る遅れのない同期発火が、部分の結び付けを支えていることは、ほぼ認めて良いものと思われる。

図1・x ムーニー・フェイス