=== Qualia Mystery Remix==================================
クオリア・ミステリー・Remix
(1999/04/18)
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クオリアとは、「赤い色の感じ」のように、私たちの感覚を構成する
ユニークな質感を指します。
クオリア・ミステリーは、科学的アプローチを基礎に、様々な側面
から心と脳の関係について考える未来感覚マガジンです。
このメールマガジンは、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』を
利用して発行しています。( http://www.mag2.com/ )
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[Qualia Mystery Remix] by JKatoh
Contents
・発行者から
・「私」が戻るまで Remixed by Jかとう
・竜安寺セッションのお知らせ
●発行者から
今回は、アーチストのJかとうさんがReMixします。Jかとうさんは、
一時期短期記憶障害の状態になった経験から、記憶と時間、「私」の
間の不思議な関係についてお書きになっています。
<Jかとう(加藤順子)>
1962年生まれ。弘前大学教育学部卒。プログラマ、CD-ROM制作、塾講師などを
しながら、学生時代より時間や空間、記憶等をテーマにした画像を断続的に作
り続けているアーチスト。そのまま響き合えるような「何か」を作りたいと願
い、現在も模索を続けている。
電子メイル jam@po1.dti2.ne.jp
<Jかとうの前口上>
時間が「流れるもの」のように感じられることについてですが、短期記憶がう
まくいかないときには、たしかに、とてもではありませんが流れるようには感
じられませんでした。一瞬一瞬、そのつど我に返っているようなもので、はっ
と気づくとある情景が見えて、ええと、と考えるうちにまたはっと気づいて、
新たに目の前の情景について考える…ようなものでした。といっても一瞬一瞬
気を失っているようにも感じられませんでした。連続しているのですが断絶し
ているといった表現になりますでしょうか…。
●「私」が戻るまで
今、私は、私が私であることを感じることができ、そのことによってとても満
たされた思いを味わうことができる。10年ほど前まではこのようなことは考え
たこともなく、私が私であると感じることは、ごく当たり前のことだと思って
いた。ところが、その「私が私である感覚」を失ってしまったことがあった。
ある時気づいたら、なかったのである。
---短期記憶ができない
「私」が消えてしまった原因はいろいろあったのかもしれない。けれども、当
時を振り返ってみると、時期を同じくして起きていた現象があり、私自身はそ
れが「私」の喪失と大きく関係していると考えている。
その現象とは、短期記憶がとても困難になるという状態であった。
たった今何をしようとしていたかふと忘れる、という経験は誰にもあると思う。
しかしその“次の瞬間に忘れる”が際限なく連続してしまうと奇妙なことにな
る。あ、そうだった、と思い出した次の瞬間にはもうそのことを忘れてしまい、
忘れてしまったことすら忘れてしまい、思考を組み立てることはほとんど不可
能になってしまう。完全にこの状態になっていたわけではなかったが、かなり
この状態に近い日々になってしまったのだ。
---時間は流れているか
しかし、「私」の喪失は、それからすぐ起きたことではなかった。短期記憶障
害が起こり始めた時には、まだ「私」を感じることができていたのだ。自分ら
しい思考も、非常に細切れにではあるが辛うじてできていた。なんと言ったら
いいか「余韻」が残っていたのである。過去からのベクトルはあったために、
細切れながら、以前の思考の続きをやることがなんとか可能だった。
ところが、その状態が長引くにつれ、頼りの過去の記憶にも影響が出てきてし
まった。短期記憶が全くできなかったわけではないため、長期記憶への情報移
動が少しは行われていたと思われるのだが、そのためか、記憶の「風化」が始
まってしまったのだ。短期記憶障害が起き始める直前の記憶状態の時間断面が
「荒れ」始めたと感じたのである。かといって細切れの時間の中では効果的な
補修もできない。次第に以前の続きの思考をすることが困難となり、過去から
の「余韻」も弱くなっていった。やがて「今」はほとんど孤立する瞬間に過ぎ
なくなり、私の時間は「流れ」なくなった。
その状態が続くようになってしばらくしたある日、気がつくと「私」の感覚が
消えていたのである。
---「私」の喪失
あの状態はどう例えたらよいのだろう…。無理を承知で例え話を試みることに
する。
一面の平原があるとして、その平原のところどころに地面が盛り上がっている
ところがあり、それが存在の一つ一つだとしてみる。とした時に、当時の私は、
どうしても、自分は平面のどこか、ぐらいにしか思えなかったのである。この
盛り上がりが自分、とはどうしても思えず、一様に広がる平面のどこでもいい、
そこかもしれないしここかもしれない、存在していないわけではないが…とい
う感覚が辛うじて拾える、そのような感じだったのである。
それまでどんなことがあっても楽観的だった自分だが、これには心の底から愕
然とし、とてつもない悲しみが心の中に引き起こされたことを覚えている。
---復活
しかし、その悲しみはかすかな希望にもなった。この悲しみを感じられるとい
うことは、まだ「私」は存在しているのではないかと思えたのである。
幸いにして、単語を話すのがやっとで文章を組み立てられないほどの状態は、
一ヶ月ほどで収束し、徐々に記憶力は回復し始めた。
しかし、「私」の感覚は、記憶力の回復度に比例して回復していったわけでは
なかった。まず、私が私であるという「認識」は比較的早く戻った。ところが
どうも違うのである。私が私であるという「感じ」はまだ戻っていないのだ。
(ここのところ、私もまだどう表現してよいのかわかりません。ただ、この違
いはとても重要だと感じています。)思考の方も、すぐスムーズにできるよう
になったわけではなかった。これはどうも、記憶と思考の連結のメカニズムが
まだうまく機能していない、と思った。実際にはどうなのかわからない。けれ
どもその時はそう感じた。
そこからはひたすら練習である。記憶状態の「荒れ」が起きていない子供の頃
の記憶を何度も回想してみたり、新しい知識を積極的に吸収,構築しようとし
てみたり、少々苦しく感じられるほど物事を強引に考え続けてみたりした。
そして戻ってきたのである。流れるような思考。自分らしい閃き。私が私であ
るという感覚・・・。始めはたまにしか起こらなかったこの感覚も、だんだん
と感じられる回数が増え、その感覚を維持できる時間も次第に伸びて、もう大
丈夫だと思ったのは、最初に記憶障害が起き始めてから半年後ぐらいのことで
あった。
●竜安寺セッションのお知らせ
発行人(茂木健一郎)と以前Qualia Mystery Remixに登場した
塩谷賢(千葉大リサーチアソシエイト)、沖野真人(名古屋)が
4/21日(水曜日)、午後3時から午後4時30分まで、
京都市の竜安寺石庭にて心脳問題について考えるセッションを
開きます。
茂木と塩谷はその後新幹線東京行き
最終便まで京都に滞在します。
このセッション参加に興味のある方は、
kenmogi@qualia-manifesto.com
までメイルをください。
メイルは、月曜日の夜までにお願いいたします。
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茂木健一郎
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http://satellite.nikkei.co.jp/pub/science/page/qualia/qualia.html
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○電子MG Qualia Mystery Remix 1999/04/18
発行者:茂木健一郎 (脳科学者)
kenmogi@qualia-manifesto.com
http://www.qualia-manifesto.com/qualia-mystery.html
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