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=== Qualia Mystery Rave==================================

         クオリア・ミステリー・Rave #2

         (1999/07/16)

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クオリアとは、「赤い色の感じ」のように、私たちの感覚を構成する

ユニークな質感を指します。

クオリア・ミステリーは、科学的アプローチを基礎に、様々な側面

から心と脳の関係について考える未来感覚マガジンです。

このメールマガジンは、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』を

利用して発行しています。( http://www.mag2.com/ )

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#Qualia Mystery Regular Issueは、2 stages, 16 issuesを刊行後、

現在夏休み中です。3rd Stageは、9月に再開予定です#

backnumbers

-> http://www.qualia-manifesto.com/qualia-mystery.html

 

[Qualia Mystery] < Rave #2>

 

Contents

・発行者から

・Qualia Mystery Rave Session 2

・脳科学ニュース 逆転眼鏡を通して見える世界

 

 

●発行者から

 

 クオリア・ミステリー夏の特別企画として、Qualia Mystery Rave

の第2弾をお届けします。

メイル・マガジンという「場」を共有して、

Session 2では6人の

参加者が心と脳の関係、人間と宇宙の関係を巡って、

言葉のダンスを踊ります。

 やがて東の空が白み、皆で浜辺に朝日を見に行くその時まで、

Raveの濃密な時間が流れていきます。

 

●Qualia Mystery Rave Session 2

 

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 私はバイク乗りでして、私のかなりの部分を「バイク乗りであること」

が占めているor占めていてくれ!と自覚しております。

 先日バイクに乗りながら考えました。

 私は掌程度の面積で路面に接触しつつ、生命を維持し、バイクを操縦

しています。

 私は掌程度の接触面と、掌で握るアクセルで、事実、私という生命を

掌に握りながら路面でダンスを踊っています。

 ステップを間違えれば危険が待っているのですが、私は相変わらず質

量300kgの私の肉体とバイクを、138psの無駄な馬力のオールドスタイル

のエンジンで、掌程度のインターフェースを使って、レイヤの低い古典

的物理学の領域を制御しようとしています。

 このエクスタシーを伝えるすべはないでしょう。

 あまりに無駄で滑稽なこのエクスタシーは、同じ言葉を共有する者た

ちの間で語られるものでしかないからです。

 私は洗濯機の渦の中の蟻でしかないと知っています。

 私は自分を掌に握りしめ、洗濯機の中に放り込みます。

 140kmで進入した下りの高速コーナーで、ギャップに振られた私は1mも

横っ飛びしながらコーナーを駆け抜けていきます。後にはタイヤのブラッ

クマークが黒々と残っています。

 それを嬉々として語れるのは同じ愚か者同士だけですね。

 

NOMAD:愚か者のバイク乗り

 

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魚も息をつめる。深い闇だ

見上げれば降るような星々

果ての無い闇

ゆっくりと船は揺れる

 

北の海に消えた君、

波間で何をおもったろう

 

無限の空間で僕はひとつの点だ

(何の価値もないだだの点だ)

次第に自我は膨張し、やがて無限の空間と一体化する

 

風が痛い

僕は全宇宙を脳の中に持った

 

奈宇多 洋(NAUTA, Yo)<nauta@anet.ne.jp>

 

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テクノをききながら トランスし

煙を吸いながら ラリっており

自転車で 高速コーナーを曲がり損ね吹っ飛び

 

自分という存在が 無性に面白く

神経が切れそうになるまで 考え続け 

       飯を食い忘れ ときどき栄養失調

 

切れた頭で

ものを考えることの 心地よさは

考え続けることで 一段と高まり

俺は神かも?とか いっちゃったりするのも

よくあることなわけで

 

あげくのはてに 人間大好き

 

 

阿部浩二 掃除嫌い tt96768@hongo.ecc.u-tokyo.ac.jp

 

☆---------------------------------------☆

 

『 その瞬間 私は一つの微少な原子に成って ある真空状態へ

  強引に吸い寄せられて行くばかりです ・・・・・・・・ 』

 ( 何も感知されない 自分すら認識できない ただ見ているだけ

   どこよ? そこは )

 

そんな幻想が 消えてしまいたい自分への せめてもの慰めです

( エネルギー不変の法則が揺るぎ無いものなら 諦めとして )

 

それでも ある刹那には 心がぽっと色付きもします

命がざわめき立ちもします 

 

ワタクシを 静かでも持続的に発動させ得るもの 

そう言うものが無いならば

その時を待つ炎の息づきは 期待だけに留められ

秘したエネルギーを どうやって捨て置かばいいのでしょう?

 

( ほっといて いい? 悔恨に変換されるだけ? 

  それとも 星の眩い輝きとなるだけ?    )

 

 

< kazuko 家事手伝い dio@mocha.ocn.ne.jp >

 

☆---------------------------------------☆

 

論理でたどりつかない真理はあるか

論理でたどりつかない真理とは何か

 

論理よりも速くたどりつける真理があるか

論理よりも速くたどりつける真理とは何か

 

論理の道程は険しくすぎて、旅人を疲労させ、時に破壊する

直感の道程は速すぎて、旅人は何が起こったのか気づかない

 

そして、たどりついた真理という名の目的地

その道程は、旅人の印象を、楽園にも、凡庸な風景にも変える

 

真理の印象を伝えたい

道程の印象を伝えたい

神の存在の印象を伝えたい

愛という印象を伝えたい

音という印象を伝えたい

色という印象を伝えたい

時間という印象を伝えたい

 

わたしをつたえたい

 

ふくしま ジプシー fukushima@walt.ccs.fau.edu

 

☆---------------------------------------☆

 

私が幼稚園児だった頃、紫色のクレヨンだけは、使わなかった。

先生に「好きな色なら、紫を何故使わないの?」と聞かれたとき、

「せんせいのいうむらさきとさとしのむらさきはちがう!!」

「むらさきをえにつかうと、むらさきがむらさきではなくなるんだよ!!」

等と言って、困らせたことを憶えている。

 

小学校の先生に言ったときは、「お前は馬鹿か」と言われたのを憶えている。

 

小学生の時、さらに幼稚園児の時から思っていたことを、

学級会で言ったことがある。

「ぼくはなんとなく、他のひととちがったそんざいのような気がする。

 ぼくだけが宇宙人であるような不思議な感じが………。」

次の日から、変人扱いだった………

 

私自身が突き詰めて考え、奇妙に思っていることが、奇妙だという実感さえ伝わらない

悲しさ、また白い目で見られる現実………

 

私がQualiaや、非明示的実在、形而上的<私>にこだわる原点がここにある。

 

確かに、哲学で問題になっているということを知ったのは、6年前でしかない。

また、そのような言葉が、私のトラウマと密接に結びついているのに気付いたのはごく

最近のことである。

 

しかし、私にとって、Qualia、形而上的<私>というものは、興味というものを越えて

、特殊な問いの象徴になっている。「面白い」からではなく本能的に考えざるをえない

のである。

 

一人で、ずっと熟考し続け、いつの間にやら朝になっていたという経験がある人は、私

の他にいないのだろうか?小学生の時、真剣に悩んでいることを「お前馬鹿か?」で済

まされた経験がある人はいないのだろうか?悩みすぎて体調を壊しこと、ノイローゼに

なった経験がある人は私のほかにいないのだろうか?

 

「紫が紫でなくなる」「私というものの妙な感じ」

 

そのことに思いを馳せると、まだ何もわかっておらず、

依然として浅学非才であることに情けなくなり、

涙がこぼれて止まらない。

 

非明示的実在の極北、アッラーフに問う。

「何故、私に答えを与えて下さらないのですか?」

答えは未だ与えられない………

 

私は、根源的な悲しみを抱きながら、根源的に悩み続ける。

情けなくて、涙がこぼれてたまらない。

 

<山根郷史  哲学原理主義者 qualia.yamane@nifty.ne.jp>

 

☆---------------------------------------☆

 

 ヤシの木の葉がざわざわと揺れ、

 何か黒い影が足元をかすめて茂みに隠れたような、

 そんな夜更け。

 あと、日の出までどれくらいなのだろう。

 

◆ 脳科学ニュース◆ 逆転眼鏡を通して見える世界

 

 プリズムを使って、視野の左右、上下、及びその両方等を逆転させる

眼鏡があります。1896年にStrattonが自らにこの「逆転眼鏡」をか

けて、何が起こるかを報告して以来、人間の視覚のメカニズムや脳の可

塑性を研究する方法として綿々と研究が行われてきました。

 吉村浩一著 「3つの逆さめがね」(ナカニシヤ出版、1997年)

は、著者自身が自ら逆転眼鏡をかけた研究結果を報告しています。

 報告は多岐にわたり、その詳細を御紹介することはできませんが、

「逆転眼鏡」をかけ続け、脳がそれに慣れてくると、次のような奇妙な

内的感覚が生じます。

 

 (左右逆転眼鏡をかけて)客観的右方向へ頭を向ける。そうすると、

右手の映像が見えてくる。その時、右手像は視野の左端から入ってくる。

このことに違和感はない。その状態で目を閉じても、右手像のイメージ

はそのまま視野の「左」位置にある。(前掲書より)

 

 逆転眼鏡においては、逆転した視野を基準としての視覚イメージが

新たな基準となり、それに合わせて自分の身体のイメージや、周囲の空間の

イメージが修正されていくようです。ですから、左右逆転眼鏡の場合、

目を閉じると、右手が(客観的には右側にあるのに)左側にあるように

イメージされるわけです。

 逆転眼鏡の実験は、人間の空間イメージ、身体イメージのメカニズム

について様々な情報を与えてくれます。また、逆転眼鏡をかけた人が、

数日ほどで次第にその新しい視覚体験に慣れて言ってしまうことは、

私たちの脳の高い可塑性を表しています。一体、逆転眼鏡をかけた

世界がどのようなものなのか、体験してみたいところですが、この実験は、

(特に逆転眼鏡をかけた直後、脳の回路が「つなぎ変わる」過程で)

かなり強い吐き気を伴うということで、一般の人が気軽にやることは

お勧めできません(笑)。

 

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○電子MG Qualia Mystery Rave 1999/07/16

発行者:茂木健一郎 (脳科学者)

kenmogi@qualia-manifesto.com

http://www.qualia-manifesto.com/qualia-mystery.html

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