=== Qualia Mystery Rave==================================
クオリア・ミステリー・Rave #1
(1999/07/13)
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クオリアとは、「赤い色の感じ」のように、私たちの感覚を構成する
ユニークな質感を指します。
クオリア・ミステリーは、科学的アプローチを基礎に、様々な側面
から心と脳の関係について考える未来感覚マガジンです。
このメールマガジンは、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』を
利用して発行しています。( http://www.mag2.com/ )
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#Qualia Mystery Regular Issueは、2 stages, 16 issuesを刊行後、
現在夏休み中です。3rd Stageは、9月に再開予定です#
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-> http://www.qualia-manifesto.com/qualia-mystery.html
[Qualia Mystery] < Rave #1>
Contents
・発行者から
・Qualia Mystery Rave Session 1
・脳科学ニュース 多種類の食物は肥満のもと?
●発行者から
クオリア・ミステリー夏の特別企画として、Qualia Mystery Rave
をお届けします。
「共産主義でも資本主義でもないもの」として登場し、注目を
集めているRave。
テキストベースのメイルで踊ることはできませんが、
メイル・マガジンという「場」を共有して、今回は6人の
参加者が心と脳の関係について言葉のダンスを踊ります。
やがて東の空が白み、皆で浜辺に朝日を見に行くまで、
Raveの濃密な時間が流れていきます。
●Qualia Mystery Rave Session 1
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閉ざされた実験室にいるよりも、
南の島の夜の海で夜光虫の光を見ている時の方が
真実に近いところにいるように感じるのはなぜだろう。
人工的なものは閉鎖空間を必要とする。
自然にとっては、宇宙全体でも十分ではない。
私たちの心は、脳という閉ざされた空間にあって、
宇宙の背後にある何かを予感する。
心が脳に閉ざされていることは、
どこか大切なところで、
心の本質を裏切っている。
だが、脳科学は、とりあえず閉鎖した空間から
始めるしかない。
It's the only way we know.
だが、夜光虫も忘れるな。
<茂木健一郎 脳科学者 kenmogi@qualia-manifesto.com>
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夏は、なんといっても花火だ.
暗闇に広がる大輪は言葉では言い切れない.
残念ながら、見たことのある人は同じ感覚を
抱くことを期待してそれを感動と呼ぶんだ.
でも、終わったあとの儚さは何に起因するん
だろうか.別に悲しい出来事が起きたわけで
もなく、ただ単に楽しい時間が過ぎ去っただ
けなのに.
僕らは花火に何か「終わり」を見るんだろう.
激情といえる生き方にも必ず終焉がある.
そうした感性を僕らは花火から受け取るん
だ.
一つの始まりは一つの終わりが始まって
いるということをみんな知っているんだろうね.
でも、今年も見に行くんだろうな.
<沖野真人 mahito@jupiter.interq.or.jp>
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ヒトは、夢の中を生きている。
子供の頃は、将来の大きな夢を抱き、夢に包まれて生きていた。
大人になる過程で、少しづつ現実を知るようになる。
そして、年を重ねるごとに、夢は少しづつ消えていく。
老人になると夢は完全に消え、過去の思い出の中を生きるようになる。
夢は、次の世代の若者に託されのだ。
果たして、この人生を支える夢の起源は、どこから来るのだろうか?
夢が完全に消えるとき、現実だけが残る。
夢と現実。この振り子の狭間でヒトは生きている。
夢から覚めるとき、本当の真実を一瞬だけ垣間みる。
そして、再び、夢の中の世界へと帰っていく。
夢と現実。ヒトは、夢を現実に運んで来ることができる。
創造の瞬間、本当の夢の起源を一瞬だけ垣間みる。
夢の中の私から、夢から覚めた私へ。
夢から覚めたとき。。。
<柴田孝 脳外科医 g6410103@ms.toyama-mpu.ac.jp>
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子供の頃のこと,私の心には既に亀裂が生じていた.
それは世界と自分.外界と内部.
世界にあった対象はプラスティックの無数のブロックだった.ブロッ
クは自在に組合せることが出来,それゆえ私は広大な探索空間をクエ
ストする日々を送っていた.
生命への興味は不思議となかった.オニヤンマを捕まえてシオカラト
ンボを食わせて共食いという種としての自己矛盾を感じたり,炎の中
に両生類を投げ入れて焼け焦げるのを眺めたりといった人並な自然と
の接触はあったけど,それはあまりにも私には当たり前に見えた.そ
して何の興味も示さず感化もされなかった.
ある日ブロックを持っているとき,珍しくブロックではなく手に注意
が行った.ブロックを放り出してじっくりと手を見た.手を動かして
みる.思いのままに動く.しかし奇妙だ,思うことと手という物質が
動くことの連係の不思議さが私を襲った.そしてすぐ,次の瞬間に,
手を動かしてそれを驚きながら見ている自分を見ている自分の存在に
気づいた.自分が自分を見ている!じゃあ,その自分を見ている自分
を見ている自分を見ることは出来るのか?そこで頭痛がして,私の幼
い脳の容量を越えてしまったようだった.
この経験の後,自己言及性というものがもっとも普遍でかつ偏在する
重要なモノであるという感覚にとりつかれた.
不確定性原理に感動し,不完全性定理に驚嘆した後の現在も,その感
覚は続いている.そして,亀裂は97年の春に一度修復されただけで,
それ以前/以後共に満たされたことはない.私の研究目標の達成は,
その亀裂の修復にいくらかは貢献するだろう.しかし亀裂の入った心
で研究し語ることが,科学の態度なのだとも分かっている.
<羽尻公一郎 人工知能/認知科学/言語学 khajiri@hip.atr.co.jp>
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君と僕の詠を歌うよ。
君と僕の物語のテーマソングを。
物語の根底に静かに流れるメロディー。
普段聞こえないが、クライマックスで必ず浮上してくるBGM。
主人公である僕たちには逃れる事はできない。
なぜ僕は歌う事ができるのか。
それは君や僕の“一部”が物語の“一部”であるから。
“一部”しかないからと言って悲しむ事はない。
なぜなら僕らの物語は一つではなく、無数にあるのだから。
足りない“部分”はその他多くの物語の中にある。
それらの物語の中の僕は、どれ一つとして同じ僕はいない。
そして僕は一つの物語からもう一つ別の物語の詠を歌うのだ。
君と僕の詠を歌うよ。
君と僕の物語のテーマソングを。
君と僕の因果律を。
<ヨシクラ@趣味で物語論に興味があるがメーカー勤務
t-yossy@jc4.so-net.ne.jp>
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考えることは誰でも出来る。
考えるという心の動きを完全に止めることのほうが難しい。
しかし、あることを、それについての考え方も含めて極限まで考えつづけることは難
しい。
私の思考は、次々と新たな状況へと方向を向けかえられてしまう。
創発が起こるまでは、素材になる領域の情報によっては決して決定的な形で書かれる
ことはない。
しかし、一端起きてしまえば、細部に渡るまで素材領域のHowは決定される。
創発は何らかの問いかけ(状況の問いかけ)に対して起こる。
しかし、直接に問われる主体は居ない。問いかけと問いかけられるものの間には
ギャップがある。
問いかけれたものは何かを答える。しかし、彼(ら)は問いそのものには答えない。
ただ、届かなかった問いによって生じた状況で何かをする。(これを創発物と呼ぼ
う。)
問いはなぜか知らぬが、創発物によって答えられてしまう。
答えは問いに対して答えとなるが創発物は答えのための何かである。・・・・ギャッ
プが開いている。
このギャップは「他にも答え(を与える創発物)が在り得る」という可能性を秘めて
いる。
思考に関わる心の動きが次々と状況を取り替えて進んでいくことは、このギャップを
状況の差として得ているようにも思われる。言語に対する軟体動物はこのギャップの
向こうに棲む心の一部のような気がする。
生物に伴う情報処理としての心はこのような意味で創発と深く関わっているだろう。
では、論理的思考そのものに創発があるのだろうか?
科学(science)がまさに「科に分かれた学」である強みは、その適用範囲、手法な
どによって自らの外にこのギャップを設定しているところにあるのではなかろうか。
研究対象や応用対象としての自然、数学的イデア、心理的コンテント、他者、世間、
世界、、、、
これらはギャップを示す指標としても働いている。
しかし、考える私の心は、そしてそれに対する「世界」はこのギャップを見渡してし
まっている。
「この私」を考える/感じる/捉えるには論理的思考が重要な一部を為していること
は間違いない。
我々の心、この人間のこの心を捉えるためには論理的思考そのものが創発物となる次
元を見る必要があるのではないだろうか。
論理的、言語的思考をも含みこんだ心にそれが創発物となるような問い方とはなんで
あろうか?
問いに対して問わねばならない。しかも、ギャップを見出すように。
塩谷賢 考えたい人 saltcat@bc4.so-net.ne.jp
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潮風が吹き、満天の空の下、夜啼き鳥の声。
夜の底が白むまでRaveは続く・・・
◆ 脳科学ニュース◆ 多種類の食物は肥満のもと?
「1日30品目の食物をとるようにしなさい」
と言われるなど、偏りのない、バランスのとれた食事は、健康を維持するために
不可欠な習慣です。
しかし、様々な食材が身の回りに溢れていることが、現代人の代表的な悩みの
根本原因になっているかもしれません。
Oxford UniversityのEdmond Rollsらの研究によると、ある食物を前にして人間を
含めた動物が「満腹」(satiety)を感じる際には、その食物の色、形、香り、
食感(texture)が影響しており、以前に食べた食物と「同じ感覚的性質」を
持っている食物を前にすると、より「満腹」だと感じるようです。つまり、
「同じものを食べると飽きる」ということなのです。タンパク質、糖質、
脂質などの栄養素の類似性よりも、感覚的性質の類似性の方が満腹感に強い影響
を与えることが見い出されています。
逆に、次々と目先の変わった食物が提示されると、満腹感をなかなか感じずに
食べ続けてしまうことになります。
今日、コンビニの店頭を見ても、私たちがいかに多くの種類の食物を容易に
手に入れることができるかわかります。「肥満」に悩む人が多いのは、食物の量
だけでなく、種類も充実している現代社会の宿命なのかもしれません。
(参考文献
The Brain and Emotion. by Edmond Rolls. Oxford University Press (1999),
ISBN 0-19-852464-1)
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○電子MG Qualia Mystery Rave 1999/07/13
発行者:茂木健一郎 (脳科学者)
kenmogi@qualia-manifesto.com
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