Q: 私は茂木さんの言う「ゾンビ」とはコンピュータの象徴だと感じたのです
が違いましたでしょうか。私がこう考えた理由はコンピュータが将来、次期
半導体(またはポスト半導体)などの設計により超高性能化すると仮定し
たとき問題にされるのはコンピュータは心を持ちうるのかという事です。
人間と話しているのかまったく区別がつかないほど優秀なアルゴリズムが
開発されたとき随伴現象説のもとでは表面的には人間と同等の反応を示
すこのプログラムに対してゾンビと言う名前を付けるのではないかと思った
のですが・・・。すなわちコンピュータは自我を持つか=ゾンビはありえるか
ということです。
A: 機能主義的な立場をとると、入力と出力が人間と全く区別がつかない機械があった時に、
それは人間と同じように心を持つとみなして良いと言うことになります。一方、「ゾンビ」
は、機能的には全く人間と同等なのに、心的現象を全く持たない存在です。機能主義の立場
ではこのような存在は許されないわけですが、随伴現象説の下では論理的にあり得るわけです。
コンピュータに限らず、機能的に人間と同じものがあった時に、それに自動的に心が宿る
とみなしてよいのかどうか、この点を「ゾンビ」の概念は問題にしているわけです。論理的には、
機能的に人間と同じコンピュータが出現した時に、それが実際に心を持っている可能性は
あるわけで、人間的コンピュータ=ゾンビということには必ずしもなりません。
Q:ゾンビがいる事を前提にしますとそのゾンビに話し掛けたときゾンビは
考えているのではないですか?コンピュータにしても単純なものではできま
せんよね?そしてゾンビの脳もCPUも人間と区別がつかないならば、そこ
には人間と同等(もしくはそれ以上)の意識が介在するのでは?それを心
(自我)と呼ぶのでは?と思ったのですがいかがでしょう?
A: マヒトさんのお立場は、機能主義の立場ということになると思います。確かに、私たちの心の働き
を特徴付ける上で、機能主義の立場は大変有力なのですが、「ゾンビ」の概念は、例え機能的に
同じであるとしても、心があるとは必ずしも限らないのではないか、心とは、機能とは少しずれている
何かなのではないかという問いを投げかけています。さらに言えば、「ゾンビ」の議論が出てくる背景
には、「心」は実際には随伴現象説がイメージしている以上の、能動的働きを果たしているのでは
ないかという予感のようなものがあると思います。その場合は、心的現象を伴わずに人間と同じ
機能を果たす機械はできないという方向に議論が向かうと思います。その場合、結論としては、
機能主義と同じような立場になりますが、現在までの機能主義がイメージしているのとは異なる
タイプの自然法則が機能の実現のために働いているということになると思います。
再びまひとさんの襲撃(?!)をお待ちいたしております。