Q: 心はニューロンの発火に伴うものではなく、発火そのも
のが心なのではないでしょうか?
つまり、脳内においてニューロンが連動していくこと自体が心なの
であってドーパミンは放射されているのに心がないというのはあり
えない(というか矛盾している)と私は思ったのですが・・・
A: このような考え方は、「同一説」(identity theory)と呼ばれるものに近いと思います。
随伴現象説と同一説は一見似ています。私は、どちらかというと随伴現象説に共鳴を覚えます。
私の立場では、同一説は、心という独自の次元の存在を正面
から認めていない、説明できないのが欠点であると言えます。随伴現象説では、ある
特定の条件が満たされた時だけ心が随伴
するという形で心的現象の随伴する範囲を制限できます。この場合、最大のミステリーは、
どのような条件が満たされた時に心が随伴するかという点にあるわけです。一方、
同一説では、そもそも、なぜ
ある特定の物質の振舞いだけに心が附随するのかという点についての洞察が欠けているように
思われます。脳内のニューロンの活動が心に他ならないとなると、では、例えばなぜ電線の中の
電子の動きが心に他ならないということにならないのかということになるわけです。このように、
同一説は、そのまま世界の中の全ての現象が心であるという汎心論につながります。
(もちろん、それが正しい可能性もありますが)
Q:心がニューロンの発火によって副産物的に持たらされるものだとし
たら、心を持たない存在(=ゾンビ)は脳死状態と
いうことですか?
A: ゾンビという概念のポイントは、脳を構成する物質の振舞いは私たちと全く変わらないのに、
一切の心的現象が随伴しないという点にあります。つまり、機能的に見ると、普通の人間と同じ
ように、会話をしたり、車を運転したり、本を読んだりできるわけです。機能的に見ると、ゾンビ
は、普通の人間と全く変わらないわけです。同一説では、心の不在=脳の中の物質的プロセスの
不在になるので、このようなゾンビの存在は不可能です。随伴現象説をとった時にのみ、
ゾンビは可能になります。ですから、まひと@メルマガさんの立場では、機能的には人間と
変わらないのに、心がない存在などあり得ないということになるわけですね。
鋭い御質問、ありがとうございました。