=== Qualia Mystery ========================================
クオリア・ミステリー
第6号 (1999/03/05)
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このメールマガジンは、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』を
利用して発行しています。( http://www.mag2.com/ )
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[ Qualia Mystery #6]
Contents
・コピー人間は「私」か_
・関連URL
・脳科学ニュース 「運動錯視の不思議な性質」
・メイリング・リスト開設のお知らせ
●「コピー人間」は私か?
人間は、ある時期になると、「私がここにいるとは、一体どのような
ことなのだろう?」
という疑問を持ちます。私の場合、小学生のある時期、地球と言う重
い土の塊の上に「私」がいることが何やら息苦しくてたまらなく、いて
もたってもいられなくなったことがあります。
「我思う故に我あり」というデカルトの言葉は、誰でも持つ「私が私
であること」という感覚を簡潔に表現したエポック・メイキングなキャ
ッチ・コピーでした。
「私が私であること」が何を意味するのか、これは、意識の神経機構
を解明する上で、最大、最後の問題でもあります。
カーネギー・メロン大学でロボットを研究してきたMoravecのような
人は、人間のマインド・コピーを作るのは簡単だと主張しています。単
純に、ある人の脳の中の記憶を全てロボットの人工知能の中に移し替え
てしまえばよいというわけです。Moravecは、このような技術が成功す
る見通しについて、楽観論者として知られています。最近のインタビュ
ーでも(下のURL参照)基本的に楽観的な立場を変えていないようです。
技術的な問題は抜きにして、もし私の「コピー人間」ができたとした
ら、それは「私」なのでしょうか? 究極の思考実験として、今、ロボ
ットではなく、私の完全な生物的コピー、すなわち、私と全く同じ細胞
構成、分子構成を持つ「コピー人間」を考えましょう。もちろん、脳の
中のニューロンの結合パターンも、全て私と同じだとします。量子力学
などを考慮すると、このようなコピーを作ることが原理的に可能かどう
かはわかりません。また、遺伝的クローンを作っても、その後の人生の
履歴が全く同じでなければ、完璧な「コピー人間」にはなりません。そ
のような点を抜きにして、もし完璧な「コピー人間」ができたとしたら、
それは私なのでしょうか?
客観的な立場からすると、私の「コピー人間」が、私と区別が付かな
い、私そのものであることは疑いがありません。例えば、私の「コピー
人間」を作った人が、私をひそかに抹殺してしまって、かわりに「コピー
人間」を出してきたら、周囲の人は何の変化もなかったと思うことでしょ
う。私の「コピー人間」は私と全く同じように振る舞い、喋り、行動し
ていくでしょう。客観的に見れば、私の「コピー人間」は私そのものです。
一方、「私が私であること」ということが問題になる、主観的な立場
から見ると、私の「コピー人間」は私ではありません。実際、私の「コ
ピー人間」は、他人に過ぎません。その他人が、たまたま私と完璧に同
じだというだけに過ぎません。何よりも、私の「コピー人間」が存在す
るということは、「私が私であること」には本質的に何の影響もおよぼ
しません。私の「コピー人間」は、客観的、機能主義的に見れば、私そ
のものです。しかし、「私が私であること」という主観的視点から見れ
ば、全くの他者に過ぎないのです。
永井均さんは、「主観性」の問題について深い洞察を持っている哲学
者です。永井さんの著作の中では、「私が私であること」という主観性
の問題にまつわる深いミステリーが、非常に純粋な形でとりだされてい
ます。同じ哲学者でも、Dennetのような人の著作の中には、「私が私
であること」の不思議さに対する感受性が希薄です。なぜなら、Dennet
は、基本的に意識の問題を機能主義的にとらえているに過ぎないからで
す。Dennet的な立場からは、私の「コピー人間」は私そのものだという
結論になるでしょう。しかし、「主観性」の本当に難しい、そして深遠
な問題は、私の「コピー人間」は「私が私であること」という主観的視
点から見れば、全くの他者に過ぎないということを認識することから始
まるのです。
<関連URL>
Moravecのインタビュー
http://www.robotbooks.com/Moravec.htm
永井均関連の情報page
http://hep.esb.yamanashi.ac.jp/~natori/nagai/index.html
◆ 脳科学ニュース ◆ 運動錯視の不思議な性質
一定時間ある方向の運動を見ていて、それから別の静止した風景を見
ると、今まで見ていた運動方向とは逆に運動の錯視が生じます。例えば、
黒い渦巻きが描かれた白い円盤を回してしばらく眺めてから風景を見る
と、風景が逆巻きの渦巻き方向にぎゅうとしぼむような錯視が生じます。
このような錯視を、運動残効(motion aftereffect)と言います。
運動の錯視は、不思議な性質を持っています。ある点が運動している
ような錯視が生じたとすると、本来その点は動くはずです。ところが、
錯視である以上、その点の位置は時間が経過しても同じ場所にあります。
本来、速度に時間をかければ変位が生じるはずですが、運動錯視では、
速度が有限の値として知覚されても、変位は結局effectiveには0になっ
てしまうと考えられます。
Nature 397, 610-612に掲載されたNishida & JohnstonのInfluence
of motion signals on the perceived position of spatial patternという
論文では、運動錯視に伴って、微少な位置のずれが生じていることを報
告しました。回転する風車のパターンを見せて、その後静止した風車の
パターンを見せたところ、運動残効とともに、風車の羽根の方角が微妙
にずれていることが見い出されました。この位置のずれは、錯視される
運動の速度から予想される値の8%程度でした。つまり、運動錯視で実
際に微少な位置のずれが生じていることが見い出されたわけです。
細かい技術的な点でいろいろ論議を呼びそうな研究ですが、本質的な
ポイントは、「動きがあるのに位置が変わらない」という運動錯視の基
本線の上で、脳が速度の存在と位置の変化の関係を「矛盾のない」もの
にするために、実際に位置が少しずれたものとして認識する、しかしず
れの大きさは、視覚像全体を動かしてしまわないほどの小さなものであ
るという点にあると言えるでしょう。
(この研究を生じた3月1日付の朝日新聞の夕刊では、『脳が「動
きや位置、形、色などの情報を全く別々に処理する」という仮説が間違
っていた』と報じましたが、不適切な解説です。この研究において問題
にされたのは物体の位置に過ぎず、形や色は全く関係ありません。また、
もともと位置や運動の情報は後頭部から頭頂部に至るwhere pathway
と呼ばれる視覚情報処理系で処理されることがわかっており、今回の発
見はそれを追認しただけです。むしろ、この研究は、「動いているけど
場所は変化しない」という運動錯視の不思議な性質を抽出したところに
価値があります)
<お知らせ>
心と脳の関係について、科学的アプローチを基礎として、文学、芸術、
哲学、宗教などの広い視点から議論し、情報交換することを目的とし
て、心脳問題メイリング・リストを開設しました。
http://www.freeml.comで検索、申し込みができます。
「心」、「脳」、qualiaなどで検索してください。
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○電子メールマガジン「クオリア・ミステリー」1999/03/4
発行者:茂木健一郎 kenmogi@qualia-manifesto.com
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