=== Qualia Mystery ========================================
クオリア・ミステリー
第4号 (1999/02/19)
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このメールマガジンは、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』を
利用して発行しています。( http://www.mag2.com/ )
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[ Qualia Mystery #4]
Contents
・エレキ、神経科学、二つの文化
・脳科学ニュース 「『脳を観る』は何を見ているのか?」
●エレキ、神経科学、二つの文化
高校時代、もっぱらクラッシックを聴くのが専門だった友人と、学園
祭で学生のロック・コンサートの会場にいました。その時、友人が、
「こういう音楽はあまり好きじゃないけど、エレキギターの音は良い」
と言ったのが妙に印象に残りました。
例えば、Deep PurpleのSmoke on the Waterは、導入部のエレキの
響きのインパクトが強く、多くのギタリストが最初に練習する曲になっ
ています。エレキの音の質感は、リズム、ビートを中心とする音楽に適
合したもののように思われます。エレキの音の「クオリア」(質感)は、
メロディー、ハーモニーを中心に発達してきた西洋のクラッシック音楽
とは異なる地平線を目指しているようです。音楽という「文化」は、こ
のようなエレキの響きやピアノの音色といった音のクオリアを味わい、
それを元に様々な構造を作っていくというところに本質があります。音
のクオリアに対する感受性を抜きにした音楽は考えられないでしょう。
一方、聴覚における情報処理を客観的に扱う神経科学においては、今
のところ音のクオリアの出番はありません。音の刺激は、まず耳のhair
cellにおいて、電気信号に変えられ、聴覚神経を伝わっていきます。こ
の時点で、ある特定のhair cellは特定の周波数を拾うように作られてい
ます。音の周波数空間での強度分布の情報が、hair cellの空間的な位置
の情報に変換されるのです。全ての聴覚情報処理は、ここから始まりま
す。聴覚野の研究は、視覚野ほど進んでいないのですが、昨年のベスト
セラー「絶対音感」でも話題になったピッチの知覚や、音源定位のメカ
ニズムなどが研究されています。しかし、エレキの音のような「クオリ
ア」がどのように成立しているのか、その点についてはお手上げです。
近い将来においてせいぜいできることと言えば、音の周波数空間での強
度分布から、シナプスの結合パターンによるフィルターを通して、エレ
キの音が鳴った時にだけ発生する(エレキの音に対して「反応選択性」
(response selectivity)を持つ)ニューロンの発火パターンがどのよう
に作られるかを記述することくらいでしょう。実際、神経科学において
は、「クオリア」そのものを扱うことは今のところできません。いくら
神経科学が発達しても、エレキの音のあの魅惑的な響き自体には到達す
ることができないのです。
客観的な科学の立場から言えば、エレキの音は、周波数分布によって
表現される「情報」に過ぎません。一方、主観的には、電気的エフェク
ターを通したエレキギターの音は、あの独特の質感を持っています。心
脳問題とは、結局、客観的に見た脳の性質と、主観的な心の性質の関係
をどのように考えるかということに尽きます。別の言い方をすれば、エ
レキの音を周波数分布として分析的にとらえる見方と、独特のクオリア
としてとらえる主観的な見方の間に、何とかして関係性をつけなければ
ならないということになるわけです。これは、とてつもなく難しい問題
です。
イギリスの物理学者、C. P. Snowは、1959年に行ったRede
Lecturesの中で、自然科学的文化と人文的文化という「二つの文化」の
間に亀裂があると警告しました。人文的文化の中では、エレキの音とい
うクオリアが生じる舞台である人間の「主観性」は前提として受け入れ
られます。その上で文学、社会学、哲学、音楽、芸術といった活動が行
われていくわけです。一方、自然科学的文化の中では、人間の主観性と
は、実体のない幻のようなものです。自然科学的文化の中では、エレキ
の音とは情報的には周波数分布のことであって、それ以上の何ものでも
ないということになりがちです。音楽家のエレキの音に対するアプロー
チと、技術者のエレキの音に対するアプローチは、全く異なるものなの
です。
1999年の今日でも、「二つの文化」の間にはいぜんとして深い亀
裂があります。心と脳の関係を考えるということは、とりもなおさず、
自然科学的文化と人文的文化という、人間の二つの主要な活動領域の間
の関係を考えるということにつながります。何か、根本的に新しい見方
が求められているのです。
◆ 脳科学ニュース ◆ 「脳を観る」は何を見ているのか?
最近の脳研究の重要なトレンドの一つは、PETやfMRIなどの手法を用
いた非侵襲計測です。(日経サイエンス社から出版されている「脳を観
る」は、手に入れやすい入門書です)。PET(Positron Emission
Tomography)はO、C、Fなどの元素の放射性同位体を含む生体高
分子(例えば、脳代謝を反映するフルオロデオキシグルコース)から出
る陽電子の対消滅の際に放出されるγ線を用いた計測法です。また、
fMRI(functional magnetic resonance imaging)は、ヘモグロビ
ンと酸素の結合状態を反映した静磁場の変化をみています。どちらの
手法も脳の代謝レベルを反映していて、ある特定の情報処理を脳が行っ
ている時に、脳のどの部位が特に活性化するかという情報が得られます。
つまり、脳の機能局在に関するデータが得られるわけです。
脳の情報処理を考える際に、本当に欲しい情報は、ニューロンの発火
(活動電位)の様子です。問題になるのは、PETやfMRIで得られる代謝
(グルコースの消費)の変化が、ニューロンの発火とどのように結びつ
いているのかという点です。
Science 283, 496-497 (1999)のEnergy on Demandという論文で
は、Magistrettiらが、ニューロンの活動とグルコースの消費に関する
最近の知見をまとめています。それによると、脳全体のグルコース消費
量のうち、80%〜90%が、興奮性神経伝達物質であるグルタミン酸
を放出するニューロンの活動によるものであり、さらに、このうちかな
りの部分がグルタミン酸のリサイクリングに要するエネルギーだとして
います。ニューロンとニューロンをつなぐシナプスの間に放出されたグ
ルタミン酸は、レセプターに結合して情報を伝えるとともに、急速に
ニューロンを取り囲む星状細胞(astrocyte)によって吸収され、グル
タミンに変換されます。その後、グルタミンは、星状細胞から放出され、
再びニューロン側に吸収され、グルタミン酸に変換され直すのです。こ
のリサイクリングの過程で、生体のエネルギー分子であるATPが消費
され、ATPの減少を補うためにグルコースが消費されるというわけで
す。
もともと、脳がこのような面倒なリサイクリングを行うのは、シナプ
スにおける神経伝達物質の放出と吸収を繰り返すことによって情報の時
間的分解能を高めるためです。その際に消費されるエネルギーが、fM
RIやPETで「脳を観る」際のシグナルになっているようです。
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○電子メールマガジン「クオリア・ミステリー」1999/02/19
発行者:茂木健一郎 kenmogi@qualia-manifesto.com
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