=== Qualia Mystery ========================================
クオリア・ミステリー
第3号 (1999/02/10)
===========================================================
-------------------------------------------------------------
このメールマガジンは、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』を
利用して発行しています。( http://www.mag2.com/ )
------------------------------------------------------------
[ Qualia Mystery #3]
Contents
・心の機能とゾンビの概念
・脳科学ニュース 「統合されて、しかも多様なのが意識」
●心の機能とゾンビの概念
現在の脳科学の主流は、物質としての脳の振る舞いを解析するという
アプローチです。このようなアプローチで具体的なデータをいくら積み
上げても、感覚の持つ独特の質感(クオリア)や自意識といった心の難
しい問題(hard problem)を解くことは難しいと言えます。必要なの
は、データと同時に心の機能を物質としての脳の振舞いと結び付ける、
新しいパラダイムなのです。
心が宿ることは、脳を考える時に絶対に無視してはならない事実のは
ずです。では、なぜ、脳科学者は、あたかも脳が他の物質と全く同じも
のであるかのように、化学的あるいは物理的アプローチで分析をするこ
とができるのでしょうか? このような脳科学のアプローチに理論的根
拠を与えているのが、「心は脳の中の物質的なプロセスの随伴現象
(epiphenomenon)に過ぎない」という仮定です。
心が随伴現象であるとは、どういう意味でしょうか? 今、脳の中の
ニューロンがあるパターンで発火した時に、心の中に赤のクオリアが生
じたとしましょう。この時、赤のクオリアが、ニューロンの発火の随伴
現象であるということは、それが、何らの因果的作用を持たないという
ことを意味します。言い換えれば、ニューロンの発火パターンの時間変
化を因果的に記述するためには、普通の物理、化学法則を適用すれば十
分だということです。たまたま、ある発火パターンの時に赤のクオリア
が生じるのかもしれないが、そんなことを無視しても、ニューロンのネ
ットワークという物質を記述する自然法則を確立する上では困らないと
いうことです。
実際、現在の脳科学は、「心の中でどのような表象が生じていたとし
ても、その時の脳の様子を物質として記述するためには、心はあたかも
存在しないかのように扱ってかまわない」という前提で行われています。
脳科学者が、心の問題をとりあえず脇においておけるのも、このような、
心=随伴現象説(心は何の因果作用も持たない)という大前提があるか
らです。
心脳問題の哲学者たちは、このような現代の脳科学における心の位置
付けを明確にするために「ゾンビ」という概念を使います。ここで言う
ゾンビとは、恐怖映画に出てくる怪物ではなく、その脳の物質としての
振る舞いは人間と全く同じなのに、人間のような心を持たない仮想的な
存在を指します。実際、心=随伴現象説の下では、心はいわば「よけい
なもの」に過ぎず、心があってもなくても物質としての脳の振舞いは変
わらないわけですから、そもそも心などなくても良いはずだということ
になります。私たち人間と一見何の変わりもない振る舞いを見せながら、
一切の心的現象を持たない、「ゾンビ」たちの世界が考えられるという
わけです。
私たちの日常的感覚から言えば、むしろ、心には因果的な作用がある
と考えるのが自然でしょう。これは、「自由意志」の問題とも関連しま
す。しかし、ニュートン以来積み上げられて来た近代科学の枠組みと、
心に因果的な作用を認める立場を両立させることは容易ではありません。
心に因果的な作用があるということは、例えばあるニューロンの発火が
心の中に「赤」というクオリアを生じさせた時、そのクオリアの存在の
せいで、ニューロンの物質としての振る舞いが変わるということを意味
します。「赤」のクオリアが生じるか生じないかで、その後のニューロ
ンの活動の様子が変わってくるということになるわけです。
すぐにわかるように、上のような考え方は、あからさまな「心と物質
の二元論」につながる危険があります。心に因果的な作用を持たせるこ
とは、私たちの日常的感覚とも合致しますし、進化の過程で心を持つこ
とがなぜ有利だったのかという問題を随伴現象説よりは明快に説明でき
るというメリットもあります。ただ、心の因果的作用を、物質の振る舞
いを客観的な方程式で説明してきた従来の自然法則と整合性のある形で
導入することは今のところ困難なのです。
脳科学者がいくら脳の中を一生懸命調べても、今のところ心が因果的
な作用をしているという証拠はありません。脳は、複雑だがごく普通の
物質のかたまりとして振舞っているように思われます。おそらく、心の
因果的な作用が実際に存在するとすれば、その証拠は、従来の自然法則
が予言する物質の振舞いとの微妙なズレとして検出されるでしょう。そ
のようなズレが問題になった時、はじめて、科学者は、心を具体的に理
論的モデルの中に取り入れなければ脳の物質としての振る舞いを予想で
きないという事態に直面するはずです。
もちろん、心が因果的作用を持たない可能性もあります。その場合、
私たちは一切の心的現象を持たないゾンビと区別がつかないことになり
ます。ゾンビという怪物は、「果たして心の機能とは何なのか、心は、
単に随伴現象に過ぎないのか?」という、人間の本質自体に関わる問を
私たちに投げかけているのです。
◆ 脳科学ニュース ◆ 「統合されて、しかも多様なのが意識」
またもや(?)ノーベル賞学者が意識のモデルを提出しました。ア
メリカの雑誌Science 282, 1846-1851 (1998)に掲載されたGiulio Tonini &
G.M. Edelman のConsciousness and Complexity という論文です。Edelman
は、抗体分子の化学構造の発見に対して1972年度のノーベル生理
医学賞を受賞した生物学者です。やはり意識に関するモデルを出し続
けているノーベル賞学者としては、DNAの2重らせん構造を発見した
Francis Crickがいます。彼等は、同じSan Diegoという都市に住んで
いながら、あまり仲が良くないようです。
エーデルマンらの意識のモデルの特徴は、脳の中のニューロンの活
動が統合(integrated)されて、しかも多様(differentiated)でなけ
ればならないとしている点です。そして、統合性も多様性も高い状態
で活動するニューロンのグループだけが、意識に寄与するという仮説
を提案しています。彼らは、これをdynamic core hypothesisと呼ん
でいます。最近の神経生理学の研究者の一部に、統合性の基準として、
ニューロンが同期して発火することを重視する傾向があった(たとえ
ば、「結び付け問題」を研究しているドイツのWolf Singerなど)こと
を思えば、Edelmanらの論文は、「意識はそんなに単純じゃないよ、
統合されるだけじゃ駄目なんだよ」という警鐘としてそれなりの価値
があると言えるでしょう。
注 「結び付け問題」(binding problem) 脳の異なる領域で解析さ
れた情報(視覚で言えば、色、形、動きなど)が、どのように統合さ
れて、一つの世界像にまとめあげられているかという問題
===========================================================
○電子メールマガジン「クオリア・ミステリー」1999/02/10
発行者:茂木健一郎 kenmogi@qualia-manifesto.com
http://www.qualia-manifesto.com/qualia-mystery.html
↑読者登録、解除、バックナンバー閲覧ができます。
【クオリア・ミステリーは、転載を歓迎します。】
=======================================Qualia Mystery ====