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=== Qualia Mystery ========================================

         クオリア・ミステリー

         Regular Issue 第21号 (1999/12/1)

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クオリア・・・それは、赤い色の感じ、サックスの音色、薔薇の香り、

絹の手触りのような、感覚をつくる様々な質感。

未来は現在と違うものでありうる。それが、<未来感覚>です。

クオリアは、今の人類の<未来感覚>の中枢にあります。

クオリア・ミステリーは、qualia-manifesto.comが提供しています。

http://www.qualia-manifesto.com/index.j.html

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[ Qualia Mystery #21] 

 

(5 th release of stage 3)

(8 issues planned for stage 3)

 

Contents

 

・朝日カルチャーセンター公開講座「脳と心、科学と文学」

・クオリアな人たち 第3回 養老孟司

・Qualia Mystery Essay: 「意識が退化したのが無意識?」 

・「私が出会ったクオリア」 第2回 沖野真人

・脳科学ニュース 

 

◆朝日カルチャーセンター公開講座「脳と心、科学と文学」◆・

 

 このメイル・マガジン発行人、茂木健一郎の、朝日カルチャーセンター

公開講座が3月11日(土)、25日(土)に東京、新宿住友ビル

の朝日カルチャーセンターで行われます。公開講座なので、入会金不要

で5600円です(何人こられても、私へのペイは変わりません (^_^);;)。

 御関心のある方は、ぜひどうぞ。

 

朝日カルチャーセンター 03-3344-1945(直通)

 

http://www.qualia-manifesto.com/asahi-culture.html

http://www.asahi.com/information/acc.html

 

「脳と心、科学と文学」

 

ー心が脳を感じる時ー

<講座のねらい>

  私たちは、一人一人、心を持っています。悲しみ。喜び。愛。一回し

か起こらない大切なできごと。人生の物語は、全て私たちの心という舞台

で起こります。

 現在、脳科学は、心と脳の関係を、徐々に解明しつつあります。自己の

イメージ、感覚と運動の統合、そして言語。意識の神経機構を解明する最

近の脳科学の進歩には、目をみはるばかりです。

 従来、私たちの人生の物語の持つ微妙な陰影は、文学などの芸術によっ

て描かれてきました。

 今、脳科学の最先端は、私たちの人生の物語を支える脳の精妙なメカニ

ズムを明らかにしつつあります。本講座では、脳科学の最新の成果を御紹

介しつつ、脳を通して人間性の理解を目指す、知の最先端で現在起こって

いることをお話します。

 

 

◆クオリアな人たち◆ 第3回 この山に蝶はいるかー養老孟司

 

 夏目漱石は、その10年あまりの作家生活の後半には、「国民の

教師」とみなされるほど、尊敬されていたようだ。現在の「国民

の教師」の候補として、養老孟司さんの名前を挙げるのはそれほど

不自然ではないだろう。

 養老氏の、深く広い学識に根ざした洞察に満ちた言葉をくり出す

力は、マスメディアで広く知られている。それほど知られていない

のが、彼の、かなり前衛的にものを考える態度だ。例えば、養老

氏が、複雑系や構造主義の研究者の一部のパトロン的な役割を果たして

いることは、案外知られていない。

 養老氏に会う機会が、時々ある。養老氏の言われた言葉の中

で、強く私の印象に残っているのが、「コンピュータの中では0と1は対

称だが、現実には違う。このことをどう考えるか」ということだ。

例えば、ある山に蝶がいることを1とし、いないことを0とした場合、

コンピュータの中では0と1は簡単に交換できる。しかし、現実には、

1と0の意味は、天と地ほど異なる。蝶がいることを確認するには、

1匹捕まえれば終わりだが、蝶がいないことを確認するのは、原理的に

そもそも可能なのか、考えれば考えるほどわからなくなる。

 ニューロンも、活動する(1)と活動しない(0)の意味は、特に

意識との関係を考えると、全く異なる。このような問題に、

「この山に蝶はいるか」という問いはつながる。

 私の中の養老氏のイメージは、実はかなり前衛的な、深いことを

考えつつ、メディアの中では、わかりやすい言葉で、常識的な世界の

すぐ横に広がっている深淵をかいま見せる、そのような人物だというもの

だ。

 

◆Qualia Mystery Essay◆ 意識が退化したのが無意識?

 

 時には、常識の反対の発想を持つことが、あらたな局面の

打開に結びつくことがある。

 私たちは、次のような常識を持っている。つまり、宇宙の中の

物質のほとんどは、無意識で、そのうち、私たちの脳のような、複雑な

ものだけが意識を持つと。つまり、意識は、無意識から徐々に

発達してきたと思っている。

 小林秀雄は、新潮社から出ている講演テープの「信ずることと

考えること」の中で、ベルグソンを引用しつつ、正反対の

考えを示唆する。

 つまり、意識が退化したものが無意識だというのだ。

 「習慣というものがあるでしょう、諸君。あれは、無意識に

やっている。意識がいちいちコントロールしなくてもできるという

ことになったんで、あれは盲腸が退化したように、意識が退化

したのだ」

 小林秀雄のこの考え方は、科学的方法論の上にすぐ乗らないが、

意識とは何か考える上で、案外重大なヒントを含んでいるかも

しれないと思う。

 

(このカセットについては、下の「Qualia Mystery Recommends」

の項を参考にしてください)

 

◆私が出会ったクオリア◆ 第2回

 

沖野真人

mahito@jupiter.interq.or.jp

自由人。20歳の哲学者。鉄塔愛好家。ヴィジュアル系。現在、「クオリ

ア、志向性、私」(仮題)を茂木健一郎、塩谷賢と共同執筆中。

 

 高校生だった頃に一人で東京へ行ったことがある。名古屋で何気なく暮

らす僕には東京が憧れだったのかもしれない。

 そのころ僕は単調な高校生活に飽きていた。だから、学校に向かうとき

に学校とは反対方向の電車に乗った。この先に何かがあるような気がし

て。そして向かったのが東京だったということ。

 夕方に駅に着くとまずCDで降りるためのお金を引き出したんだけど往

復の電車賃しかなくって、ちょっと焦ったな。そうして駅を降りるとあて

もなくふ

らふらと歩くだけ。何かするわけでも何かあるわけでもない。でも、それが

楽しかった。

夜は野宿しようと思っていたんだけど困ったのは空腹。朝も食べてなかった

し歩き回っておなかが空いて倒れそうだった。でもお金はない。交番に行

こうかと思ったけど制服じゃまずいし。

 そこで思いついたのが自販機の「お釣」探し。

 駅の周辺の自販機のお釣口に手当たり次第手を入れて探しまわり、2

時間もした頃についに見つけた。380円。今でも覚えてる。嬉しくっ

て嬉しくって子供のように(子供だったんだけど)はしゃぎながらコン

ビニでジュースとおにぎりを買った。

 品川の駅のベンチで蚊に刺されながら食べたおにぎりの味は最高だっ

た。あの時のおにぎりにはなにが入っていたんだろうか。梅干?青春?

想い出?僕は一生忘れない。

、、、、しかし今でもジュースを買うときにお釣口に手を入れてチェッ

クする癖が付いてしまった。

 

 

===沖野真人の広告============================================

 

、、、、行間を読んでください(笑)

http://www.interq.or.jp/jupiter/mahito/okino/

 

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*編集人から

 

「私の出会ったクオリア」の原稿を募集します。

800字以内でお書きください。

採用の方は、発行部数2200部以上のこのメルマガで、

10行以内で好きなことを広告ができます。

御投稿は、kenmogi@qualia-manifesto.comまで。

 

◆ 脳科学ニュース ◆ ジュウシマツのメスは、複雑な歌を好む

 

 1999年11月30日に行われた科学技術振興事業団の「さきがけ21」

研究報告会は、興味深い発表がいくつかあった。

 千葉大学の岡ノ谷一夫氏は、ジュウシマツの歌題材に、言語の

起源を研究している。ジュウシマツは、複数の歌要素(element)が

集まってchunkをつくり、それらが集まってphraseをつくり、phraseが

あつまって歌をつくると言う、複雑な構造をした歌を歌う。興味深いこ

とに、ジュウシマツの野生種であるインドのコシジロキンパラは、単純な歌しか歌わない。岡ノ谷氏によると、250年前に日本に輸入され、安政の

大獄のころ「白くなる」変種が得られ、この過程で複雑な歌を歌うように

なったということ。

 ジュウシマツの脳の中では、Nif, Hvc, Raと呼ばれる3つの神経核が、

それぞれphrase, chunk, elementレベルの歌制御を司っているという

ことが見い出されている。このような分担を、岡ノ谷氏は、破壊実験の

結果を、有限状態文法の手法で解析することによって突き止めた。

 ジュウシマツのメスは、複雑な歌を好む。複雑な歌を聞かせた方が、

単純な歌を聞かせた場合よりも、巣の材料であるわらを運ぶ本数が

増えるという。

 なぜ、メスは複雑な歌を歌うオスを好むのかというと、それは、「

ハンディキャップ原理」で説明できると岡ノ谷氏はいう。ここに、

「ハンディキャップ原理」とは、複雑な歌を歌うのは、それだけ生物的

資源を使うので、それにたえられるオスは優秀なオスに違いない

というもの。クジャクの羽がその例だとされている。

 

Reference

 

Okanoya, K. Tsumaki, S. Honda, E. (in press) Perception of temporal

structures in self-generated songs by Bengalese finches. Journal

of Comparative Psychology.

 

 

<END OF THIS ISSUE>

 

===この本を買え============================================

 

 

<全ては脳内現象に過ぎないのか>

茂木健一郎 「生きて死ぬ私」 1700円

徳間書店より好評発売中。

http://www.qualia-manifesto.com/books.html

 

著者は、「まえがき」の中である重苦しい気分について書く。「どんなに

広大な風景の中に自分を置いても、結局私は私の頭蓋骨という狭い空間

に閉じ込められた存在に過ぎないのだ。」そう考えると重苦しくなると

いう。

どんな広大な風景も脳の中に閉じ込められている。脳科学によれば、た

しかにその通りだろう。それを「重苦しい」と感じる著者は、脳科学と

いうものに疑問を持つ。学会で行われていた研究と自分が「ずれて」い

ると思い始める。

そして著者は、脳の「外」に出て行こうとする。それが本書である。

 

ー「生きて死ぬ私」の書評 by 布施英利ー

 

 

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===Qualia Mystery Recommends===========================

 

新潮カセット講演 

小林秀雄講演

 

信ずることと考えること

Cassette 1, 2

 

定価4000円

ISBN4-10-800102-8

 

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○電子メールマガジン「クオリア・ミステリー」1999/12/1

発行者:茂木健一郎 (脳科学者)

電子メイル kenmogi@qualia-manifesto.com

http://www.qualia-manifesto.com/qualia-mystery.html

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