=== Qualia Mystery ========================================
クオリア・ミステリー
第2号 (1999/02/03)
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このメールマガジンは、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』を
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●クオリアとは何か
現代の科学は、客観的な立場から、物質の振る舞いを研究すること
を前提にしています。例えば、私たちの脳にしても、科学的立場では、
そこに心が宿るということはとりあえず無視します。そして、脳を構
成する物質の性質(例えば、ニューロンの膜の上の蛋白質とか、シナ
プスにおいて放出される神経伝達物質などの性質)を客観的に調べる
わけです。心の中に現れる様々な「表象」を直接研究の対象とする心
理学などの分野もあります。しかし、このような分野は「ソフト・サ
イエンス」などと呼ばれ、還元主義的な科学者の間からは軽視される
傾向があります。
このような現代科学の思想的基礎を提供したのが、ルネ・デカルト
(1696-1650)です。彼は、「我思う故に我あり」というテーゼで、
私たちの心の「主観性」のエッセンスを切り取りました。一方で、全
ての心的現象を捨象した、物質の客観的な振る舞いを研究するという
現代科学の基本方針の起源もデカルトにあります。デカルトは、「心」
というものの本質をうまく定義することによって、客観的な世界の定
義にも成功したわけです。
地球を回る月の動きと、木から落ちるりんごの動きを同じ「重力」
という概念で説明したニュートン(1642-1727)の力学法則から始ま
り、コンピュータの中のICのようなミクロの世界の現象を理解する
上で欠かせない量子力学まで、客観的な科学研究は偉大な成功を収め
てきました。脳を理解する上でも、その振る舞いを物質として客観的
に理解するというアプローチが有効であることは言うまでもありませ
ん。神経伝達物質は、少なくとも100種類はあると言われています。
これらの化学的性質を理解することなしに、脳を理解することはでき
ません。物質としての脳の研究は、まだまだやるべきことがたくさん
あります。
一方で、客観的な科学研究が見落として来たことがあることも否定
できません。それは、私たちが心を持つということです。そもそも、
私たちはなぜ心というものを持つのでしょうか? 私たちが心を持つ
ことも、自然のあり方の一部だとすると、それを無視して自然を本当
に理解することはできないはずです。
私たちの心の中には、様々な生々しい感覚が満ちあふれています。
例えば、夏の夜に花火をすれば、様々な色の光の像が私たちの心を満
たします。線香花火の枝分かれする形が、心に焼き付けられます。夜
風が頬を優しくなでます。そして、ろうそくの燃える臭いが、通奏低
音のように私たちを刺激します。これらの感覚を引き起こすのは、私
たちの感覚器を刺激する物理的刺激ですが、私たちの心の中で、これ
らのものは独特の、鮮明な質感をもって感じられます。私たちは、様
々な感覚の質感を通して、外の世界や、自分自身を認識しているので
す。
私たちの心を満たす様々な質感は、「クオリア」(qualia)と呼ば
れています。クオリアは、私たちの心が客観的な物質の世界と異なっ
たものであることを強烈に示しています。例えば、「赤」という色の
感覚を生じさせるのは、物理的にはある特定の波長の光であるかもし
れません。しかし、私たちの心の中で感じられる「赤」という色の質
感は、波長という「量」とはまるで無縁な、独特の性質を持っていま
す。フルートの音は、物理的にはある波形で定義されるでしょう。し
かし、私たちの心の中では、それは、あの独特の甘い金属的な質感と
して感じられるのです。私たちの感覚を引き起こす物理的刺激につい
て、客観的に分析することはできます。しかし、私たちの感覚の独特
の質感=クオリアについては、このようなアプローチは無力なのです。
ニュートン以来の物理学に象徴される客観的科学は、長さや質量、
電荷といった数的、量的な概念を用いて、世界を説明してきました。
しかし、同じようなやり方で、例えば「赤」の感じと「フルートの音」
の感じを比較しようとしても、途方に暮れてしまいます。客観主義の
科学は、私たちの心の中の質感=クオリアを説明しようとしたとたん、
挫折せざるを得ないのです。このことを、フッサールやハイデガーな
どの「現象学」を研究している哲学者は、きちんと認識していました。
最近になって、客観的科学の立場で脳を研究してきた脳科学者も、ク
オリアに象徴される心の性質を説明することの原理的な困難に気が付
き始めたのです。
◆ 脳科学ニュース ◆ 「自分で自分はくすぐれない」
自分で自分をくすぐることができないのは良く知られた事実です。
また、強盗に脅かされている時にくすぐられてもくすぐったくないで
しょう。自分がさわっても他人がさわっても皮膚から入力される感覚
刺激は同じです。皮膚への刺激が自分の行動によるのかどうかという
情報や、相手との関係、自分をとりまく状況など、高度な情報処理を
経て「くすぐったい」という感覚が生じているものと思われます。
Nature Neuroscience November 1998 Volume 1 Number 7
pp 635- 640に掲載された、Daniel M. Wolpert, Chris D. Frith
& Sarah-J. BlakemoreらによるCentral cancellation of
self-produced tickle sensationという論文では、 fMRI を用いて、
この問題を研究しています。自分で自分をくすぐった場合には、刺激
の原因が外部にある場合に比べて、大脳皮質の体性感覚野の活動が低
下していることが発見されました。一方、運動制御を司る小脳でも、
自分自身に皮膚刺激を生じさせるような運動では、そうでない運動に
比べて低いレベルの活動しか見られませんでした。これらの結果から、
著者たちは、小脳には運動の結果生じる感覚刺激を予測する機能があ
り、この情報が大脳皮質の体性感覚野へのシグナルをキャンセルする
のに用いられているのではないかと示唆しています。
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○電子メールマガジン「クオリア・ミステリー」1999/02/03
発行者:茂木健一郎 kenmogi@qualia-manifesto.com
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