茂木健一郎personal pageに戻る

「風の旅人」 連載 

『都市という衝動』

茂木健一郎

第3回  壁の形而上学

 ロンドンから北に電車で約1時間ほど行くと、ケンブリッジに着く。オックスフォードと並ぶ古くからの大学街である。

 今から10年ほど前、最初にケンブリッジを訪れた時、私はその美しい景観に魅了された。この川沿いの道をニュートンが歩いたのか、この「イーグル亭」というパブで、DNAの二重らせん構造を解明したワトソンとクリックが議論したのかと、一つ一つの場所を目に焼き付けた。どの方向にも、十分ほど歩けば郊外に出てしまうような小さなエリアの中に蓄積した歴史の香りに魅了された。自分もこんな街で学生生活を送れたらよかったのに、と思った。

 私は、ケンブリッジと恋に落ちたのである。

 ところが、しばらく歩いているうちに、あることに気が付き、私は少し不機嫌になりはじめた。ケンブリッジという街に恋をする気持ちに、不純なものが混ざってしまったような気がした。私を不機嫌にさせたもの、それはすなわち、カレッジの「壁」の問題である。

 ケンブリッジには、たくさんのカレッジがあり、その敷地が街のほとんどを占めている。それぞれのカレッジは、ぐるりと壁で囲まれていて、門の前には、「プライベート」と書かれている。実際には、カレッジのメンバーでなくても、大学関係者ならば、あるいは大学関係者のふりをすれば、自由に立ち入ることができるということを後で学んだのだけども、そんなことを知らない訪問者にとっては、「プライベート」という表示は、自分を拒絶する絶対的な障壁であるように思えた。カレッジの壁が、偉大な知的伝統を象徴する文化遺産というよりは、旅行者である私の自由を制限する、身勝手なバリケードのように思えた。

 都市の喜びは、あちらこちらを自由に歩き回ることができることにある。しかし、実際には、ケンブリッジに限ったことではないが、都市には至るところに壁がある。向こう側に行ってみたいと思っても、どんなに素敵な空間が広がっているかと想像しても、壁でぐるりと囲まれて、入り口に「プライベート」と書かれてしまえばおしまいである。

 ニューヨークのマンハッタンの摩天楼は、20世紀の人類の文明を代表する景観であるが、それは同時に、人間がせっせと作り上げた壁また壁が立ち並ぶ光景でもある。空間を壁で囲い込み、自分が独占し、不特定多数の人が出入りすることを排除したいという人間の欲望が、空へ空へと限りなく伸びて行く運動とり、摩天楼に結実した。

 都市は、壁に囲まれたプライベートな細胞の密集した、見通しの悪い多細胞生命体なのだ。壁をつくり、その中に自分自身のプライベートな空間をつくりたいというのは、人間にとって押さえがたい衝動である。だからこそ、子供の頃、心ゆくまで野外で遊んだ夏の午後、暗い部屋に引きこもって本を読むのがあれほど心地よかったのだ。他人が土足で入ってこないような空間をつくってこそ、私たちは都市の自由を満喫することができる。一方で、都市の中を勝手気ままに移動したいというのも、人間にとって根源的な衝動である。この二つの矛盾する衝動の間の危うい均衡を保つことは、都市という人工空間のデザインにおける永遠の課題である。

 それによって守られるにせよ、それによって疎外されるにせよ、一つの壁には私たち一人一人にとって思い出せないほど遠い昔の記憶がまとわりついている。どこにでも移動できる荒野の自由を捨てて、囲い込み、定住することを決意した祖先の末裔が私たちなのだ。

 私たちは、なぜ、ベルリンの壁の崩壊にあれほど熱狂したのだろう。あの時、テレビの画面の中で壊されていた壁は、東西ドイツの境界という場所における、冷戦という時代精神の産物であることを超えて、私たち人間が至るところに張り巡らしている壁の象徴だったのではないか? だからこそ、歓喜する若者がハンマーを振るって壁を壊す光景が、あれほどの神話的な意味を持ち得たのではないか。

 あの壁は、どの街の、どこにある壁でも良かったのだ。若者たちがあの壁を壊したとき、私たち人類は一瞬、壁というものが存在せず、ただ森林や草原をさまよっていたもう思い出すこともない昔に回帰していたのである。

 壁は、必ずしも物理的な実体として存在するわけではなく、私たちの心の中に強烈な作用として存在することもある。

 そんなことを、先日、福井の郊外にある永平寺に行った時に思った。

 今日でも、毎年百人以上の雲水が入門する修行の場であるこの寺は、同時に、多くの観光客が訪れる名所でもある。黒の法衣を纏った修行僧たちによってぴかぴかに磨き上げられた木の廊下を踏みしめ、観光客たちが歩いていく。食事の支度をする場である大庫院(だいくいん)や、修行僧たちが寝起きする場である僧堂といった生活の場のすぐ横を、カメラやビデオを手にした色とりどりの服装の人たちが通る。

 修行僧の修行の現場と、観光客が立ち入る経路は、「ここから先は観光の方はご遠慮ください」というような立て札によって隔離されている。その意味では、永平寺にも、目に見える形での壁はある。僧堂の前に立ち止まり、「立って半畳寝て一畳」と言われるその厳しい生活の場のありように、あこがれを胸に秘めて思いをはせても、木の壁越しに伝わってくるのは、ほの暗い空間の広がりのかすかな気配だけだ。

 しかし、それよりも強い、絶対的な心の壁が、観光客と修行僧たちの間にある。修行僧たちは、観光客たちが行き来する廊下を歩き、見えるところで掃除をし、読経をし、荷を運ぶ。その姿は、「修行僧にはカメラを向けないでください」という注意を受けなくても、なんとなくそちらを見るのもはばかれるような空気に包まれている。

 物理的な壁があれば、その向こうのものにカメラを向けられないのは当然のことである。たとえ物理的障壁がない時でも、心の中に壁がつくられる時、私たちはその壁の向こうのものをまともに見ることを避ける。もちろん、修行僧たちも現代の若者であり、私たちと隔離した世界に生きているわけではない。だからこそ、朝3時30分には起床する修行の現場に身を置く彼らとの間の目に見えない壁を私たちは聖なるものであると感じ、それを尊重するのである。

 永平寺における観光客と修行僧の穏やかで美しい分離は、壁というものが人間にとって持つ切実な意味を教えてくれる。壁は、時には、至上の福音でさえありうる。地球の薄い大気の層は、宇宙空間の過酷な環境から私たちをやさしく隔離する一つの壁である。神は宇宙の全てを見給うが、人間は、視野という壁の外のものを見ることがない。この限界も、有限を生きる人間にとっては、実は一つの福音であろう。

 ケンブリッジの猫は、カレッジの壁を何とも思わず乗りこえていくが、人間にとっては同じ壁が心を圧する存在になる。ベルリンの人たちにとって一時期そうであったように、壁は、時には世界の終わりをさえ意味する。都市の壁は、もはやそれについてほとんど考えることがないくらい、都会生活者にとって当たり前の、ごく実際的な存在であるが、そこに自分にとっての世界の終わりがあるかもしれないと思うとき、私は不意に厳粛な気分に撃たれる。