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地の中深く美に包み込まれて  茂木健一郎

(美術手帖 2004年9月号掲載)

 台風が近づき、直島と高松を結ぶフェリーが止まるかもしれないという気配を感じながら、直島の地中美術館を訪問した。

 直島には、以前、「家プロジェクト」を見るために訪れたことがあった。内藤礼の『このことを』に込められた密かな企みに震えた。何の変哲もないように見える土間のそこここに、この上なく繊細な工作物が仕込まれていることに気が付いた瞬間の戦慄を、今でもありありと思い出すことができる。ジェームズ・タレルのBackside of the Moonの、暗順応するにつれて初めて見えてくる幽かな光の世界の感触も忘れがたい。存在と非存在の間をたゆたうものたちの消息に接した後では、普段慣れ親しんでいる鮮やかな色の世界が、むしろ汚らしい偽物であるように感じられた。

 以前と以後では、世界が全く異なるものとして見える。そのような認知的変容をもたらす装置としての家プロジェクトの可能性を、地中美術館に出会うことで私は初めてはっきりと掴むことができたように思う。地中美術館は家プロジェクトの精神の自然な延長である。そして、家プロジェクトの輪郭は地中美術館の出現によってより明確になったのである。

 鉛直から微妙に傾いた角度で壁が造形された地中美術館のエントランスの回廊に入り込んだ瞬間、私たちはすでにそこが地上とは異なる文法に基づく設いの空間であることを悟る。収蔵された作品に出会う前から、すでに体験は始まっているのである。

 通常の美術館の文法では、作品とそれを収蔵する空間は別物である。企画展において、作品は交換可能項として美術館という空間を出入りする。パーマネント・コレクションにおいてさえ、作品と美術館の空間は一体ではない。私たちは、意識の中から対象となる作品以外の要素を消し去って、体験をより純粋なものにしようとさえする。

 それに対して、地中美術館は、作品と空間が一体となった一連なりの体験を、そこに訪れる者に与えることを志向している。体験の純粋さを追求するために、収蔵空間を消す必要はない。むしろ、収蔵空間そのものが美的体験の純粋さを高めているのだ。

 ウォルター・デ・マリアの『タイム/タイムレス/ノー・タイム』の神殿的空間に足を踏み入れる時、その体験は、エントランス以降の一連の安藤忠雄の設計による空間の体験の流れの中に、何の違和感もなく接続される。球体と正多面体の柱が林立するイデア的空間。この上なく抽象的なるものが具象と化し、最も具体的なものが抽象化する。直近の記憶が、「今、ここ」の表象に切れ目なく溶かし込まれていく。

 ジェームズ・タレルの『オープン・フィールド』では、侵入不可能に見える平面が、侵入可能な奥行きに突如として変化する。静かに歩いていくうちに、平面から奥行きへの空間的変容に対する驚きが、次第に自分を包む青い光の息づきの中に紛れ込んで一体化する。

 様々な感覚が覚醒して行く中で、私は地中深くにある。天井から取り込まれる自然光が柔らかく周囲を照らし出す。そのようにして静かな美の神殿の中に憩う時、自分を包み込んでいるものが、芸術作品を収蔵する空間の設計についての論理的な演繹の帰結であることに気付かされる。

 元来、人間の視覚は220度の広がりを持っている。ある純粋な体験を与えようとすれば、その視野全体を制御するしかない。理想的には、意識の流れの中で、その中に表象される全ての要素に気を配ることで初めて体験の純粋さを保証することができる。客席を暗闇にして、照明された舞台上に表象を提示する上演芸術においては、そのことはすでに「総合芸術」の哲学として確立していた。

 一方、美術館という制度は、視野の中でせいぜい数十度の広がりしかない作品を交換可能な鑑賞対象としてとらえ、それ以外の周縁で何が起きているのかに関心を払わないという約束に基づいて成り立ってきた。作品以外の美術館の空間は、美的体験においては意識から消し去られるべき「黒子」として運命付けられていたのである。むろん黒子には黒子としての美しさがある。しかし、その美しさと作品の美しさを高度の芸術的配慮の下に融合する可能性は、従来の美術館の文法の下では封印されざるを得なかったのである。

 地中美術館は、入館してから退出するまで、ある純粋な美の体験を提示し、経験したいという欲望を開放し、形にした点において、画期的な文法を提示している。地中美術館はもはや美術館ではない。美術館という制度を超えた何かなのである。

 もちろん、空間の中の要素全てをある美意識の下に設う、ということが人類史上かつてなかったわけではない。ピラミッドの内部空間、高松塚古墳、千利休の茶室、ルートヴィッヒのノイシュヴァンシュタイン城。人類は、繰り返し、完全なる美の空間を設う欲望を表明し、表現して来た。そのような歴史を顧慮してもなお、地中美術館を現代において画期的だと感じる理由を、私はまだ完全には言語化することができない。

 収蔵空間と、その中の作品を一体のものとしてとらえ、そこに純粋な美的体験を提示する。これが「家プロジェクト」が志向したアプローチであり、地中美術館はその方法論を現時点ではうまく言語化できない未知の次元にまで高めたのである。

 最後に訪れたクロード・モネの『睡蓮』の部屋の、繊細に配列されたタイルからなる白い床の上に座り込んで、私はしばらくぼんやりとしていた。

 ウォルター・デ・マリア、ジェームズ・タレル、そしてモネの『睡蓮』。この一連の体験がもたらす意識の流れが、現代に対して微妙にねじれた場所にあると感じるのは、なぜだろう。水の上の睡蓮の印象を流れるような色彩で表現したモネの絵が、抽象性を追求した二人の作品と融合した時に生まれる感銘は、一体何に由来するのか。

 モネの部屋の天井から差し込む自然光は、近づきつつある台風の消息を伝えていた。その気配を感じつつ、私は、地上のおもちゃ箱のような表象の全てから、遠く離れていることを感じた。私は、ここに埋葬されてもいいと思った。

 実際、あの時、私は地中美術館に私の中の何かを埋葬して来たように思う。何かを埋めると同時に、何か未知のももの姿を垣間見たように思う。地の中深く美に包み込まれて、私は太古から変わることなく、そして未来へと接続する何者かの気配を確かに感じたのである。